30.8.17

Okinawa に移動しました

8月28日、夜の便でブリュッセルを発ち、29日夜に沖縄に着きました!

今回の沖縄滞在は約1年間になる予定。

この「ベルギー移住生活」への投稿も少なくなると思う。

あまり役には立たないと思うが、ブリュッセルから沖縄までの旅程を記しておきます。

チェックインはインターネットで済ませているので、手荷物預けるだけ ・・・ だけど、殆どの人がインターネットでチェックインしているので、普通に並ぶことになる。

僕は座席指定を2ヵ月前に済ませていると思っていたけど、前日にネットでチェックインしようとしたら、まだ座席指定していないことが発覚 ・・・ 仕方なく空席を探したが「残り1席」だった ・・・ という事は皆さん、事前に座席指定しているという事だね。

以前は、当日チェックインでも(ほぼ満席の便でも)「席は窓際がいいですか通路側がいいですか?」と聞かれたのだけど ・・・ やはりネットでの手配が浸透したという事なんだろうね。

搭乗ゲートへ向かう途中、大規模なドリンクバーがあったが、搭乗口はまだ遠かったので通過した。

 ベルギーの漫画キャラクター(タイトル知らず)

今回はこれに乗ります!

日本のANAブリュッセル→東京、直行便!

2年ほど前から就航しているのだけど、今回初めて直行便に乗る ・・・ やはり、初めから日本の航空会社の便に乗って日本へ入れるというのは気楽だよね。

今まで、いつも安さ優先でチケット購入していたので、チャイナエアライン(スキポール‐バンコク-香港-沖縄)、キャセイパシフィックエア(スキポール-香港-沖縄)、ANAコードシェア(ブリュッセル-フランクフルト-東京-沖縄)、JALコードシェア(ブリュッセル-ヘルシンキ-名古屋-沖縄)。

よくもまぁ、いろんなルートを飛んだものだ(笑)

今回も安さで選んだのだけど、何故か直行便が安かった ・・・ と言うより、今まで安いと思っていたルートが夏場のせいか、かなり高くなっていたのだ。

搭乗口も飛行機も確認したので、安心して「ベルギー最後のビール」を飲む ・・・ 奮発して大きい(50cl)のグラスにしたのに、味がちょっと変 ・・・ 酸味は感じられないはずのピルスビールに酸味を感じたので ・・・ 「いつものステラビールと違う」と思ったのだ ・・・ 「器具の洗浄を怠っているのかなぁ」と、思うと残念。

機内での最初の食事では「キリン一番搾り」を頂く ・・・ 食事メニューは何だったんだろう? ・・・ 鶏肉と野菜とキノコの煮物弁当だったか。

11時間45分のフライト

最初の2時間くらいで食事が出て、その後ドリンクのサービスもあるが、3時間後くらいからは、とりあえずサービスは終了する(必要な人はいつでも、CAさんに頼めばドリンクやスナック程度の食べ物はもらえるようだ)。

後は睡眠時間 ・・・ 眠れない人は小さな画面で映画などのエンターテイメントを見るか、音楽を聴きながら本を読むか ・・・ 楽しむというより本音は「時間をつぶすのに苦労する」(笑) ・・・ 僕は「時をかける少女」というアニメを見た。

以前2回ほど、日本の映画を観たが、非常に暗い内容の映画で日本に着く前に気持ちが重くなった覚えがある ・・・ 元々、映画に興味がないので、タイトルを見ても内容が分からないのでそうなるのだけど ・・・ 近頃はアニメを見るようにしている(笑)

僕も少しは寝たのだろうか ・・・ うとうと、うとうと ・・・

たまに画面をフライト情報に切り替えて確認していたけど、さすがに朝鮮半島の上空は避けているようだ ・・・ 北のミサイル警戒しているのかどうかは分からないけど、今までは結構、朝鮮半島の上空を飛んで日本に入っていたと思うのだけどねぇ ・・・

その時は知らなかったが、この日の午前に北が北海道を越えて海に落ちるミサイルを発射していたことを、成田空港に着いてTVのニュースで知った ・・・ えぇ~、この航路とクロスするじゃないかぁ!

北はグアムに向けてミサイルを発射すると予告しているので、このコースなら大丈夫と思っていたのに、完全に裏をかかれた ・・・ 危ないじゃないか、北!

最後の食事は到着の2時間くらい前。

まぁ、エコノミークラスの料理を解説してもしょうがない ・・・ すきっ腹を満たせるものであればいい(これは、オムレツにハム、焼きトマト、ブロッコリー、ソーセージとポテト) ・・・ 白ワインを頂いた。

成田、ターミナル1に着いて、そのまま乗り換えなので楽だった。

成田の貨物で働いている甥っ子が出口で迎えてくれて嬉しかったネ ・・・ 出口から乗り換えの沖縄便搭乗口まで歩きながら少しだけ話して、それで別れたけど、ほんの30分くらい、仕事を抜け出して会いに来てくれた気持ちがうれしいよね。

沖縄便はバスで移動して、タラップから乗ります(笑)

でも、ブリュッセルから飛んできた国際便もタラップから降りて、バス移動だったんですぜ(笑)

成田から那覇までは2時間50分

那覇に着いた時は21:40頃 ・・・ 家に着いて、2ヵ月ぶりの帰宅は、恐る恐るドアを開け、中に入ると ・・・ やはり、暑い!

居間(畳間)だけクーラーを除湿で付けっ放しにしていたのだけど、何故か切れていた(エラーで) ・・・ もちろんこちらも、ムワァーとして暑い!

部屋の点検をするも特に異常はなく、虫の死骸があるわけでもなくカビも生えていない ・・・ ふぅ~、ひと安心 ・・・ クーラーのエラーを修正し、運転再開。

 2日目、天気がいいので、とりあえず沖縄らしい風景を見たいので、車でドライブする ・・・ 何という田舎の風景(そういう所に住んでいる) ・・・ 向こう側に見える丘を越えたら海が見えるのでその方角へ行く。

やって来たのは知念岬公園

風の条件がいい時はパラグライダーが飛んでいて、体験飛行もできるようだ ・・・ 料金は高そうだったけど、「鳥の視点で下界を見てみたい」人にはいいのかも。

天気の良い日には絶景ポイントになる知念岬公園です。

ま、沖縄にはこういったポイントはたくさんあるのだけど、わが家から一番近い「沖縄らしい写真が撮れるスポット」です。

それにしても暑かった!

沖縄県民も「今年は特に暑いよ」と言う人多し。


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27.8.17

Lier でMomoちゃん散歩!

リール(Lier)市内でのMomoちゃん散歩 ・・・ いつもの事ではあるけれど、久しぶりに遠出をして修道院辺りまで行ったので、記しておきます。

最近は近場しか歩いてなかったので ・・・

まずは旧市街を囲む遊歩道 ・・・ Momoちゃん得意の両足上げおしっこスタイル!

リールの町は中世の頃は要塞都市で、城壁で囲まれていた。

中世の地図

2つの川の流れを利用して、旧市街を囲む堀を作りその内側に城壁があるのがわかる。

現在でも、堀はそのまま残り、道路の配置はそのままで、旧市街に入るためには5ヵ所にある橋を渡らなければならない。

城壁は18世紀の終わりごろに取り壊され、緑の遊歩道に生まれ変わった ・・・ その総延長は約5㎞ ・・・ ゆっくり歩く人や、ジョギング、サイクリングの人も多い。

遊歩道をわき道にそれて遊ぶMomo ・・・ 森から出てきたキツネか?

ベルギー人にはいつも「キツネみたいだね」と言われている。

修道院入門



修行をするのだ~ 静かに歩く ・・・ 基本!

ここはリール市で一番細い道なんですけど ・・・ スマートなMomoちゃんには十分だね(笑)

 一番細い道の一番細い部分「シャツの袖通り(Hemdsmouwken)」と言われている、袖の先の方でしょう(笑)

修道院には可愛いドアがたくさんある。

今の時期、タチアオイの花が目立つ。

今は使われていないが、18世紀ごろの共同ポンプ。

教会の横の花壇に出来ていた銀銭花(ルナリア)の種 ・・・ やっとシルバーダラー(銀貨)に似て来たよ(笑)

6月から観察しているが、最初は緑色だった。

修道院内の教会 ・・・ 結婚式があるようだった。

石畳の石をはがしてタチアオイを植えたみたいだ ・・・ プランターに植えるより大地の恵みをもらう方が育ちがいいのだろうね。

規則的には違反だと思うのだけど、花を愛する人はよくやっている事だ(笑) 町の中でも歩道の敷石を1枚はがして蔓性の植物(藤など)を植えて玄関を緑で覆う家も見られる。

 可愛いドア ・・・

可愛いドア ・・・ Momoちゃん息が上がって、ハァハァしてる ・・・ 暑いからねぇ~

天文時計のジンメルの塔

 時計文字盤の下には聖グマルスの像がある。

リールの誇り、時計作りの天才ルイス・ジンメルが、1935年・ブリュッセル万博のために制作した「天文時計」である ・・・ リール市観光の目玉のひとつとなっている。

中心の広場では土曜マーケットが開かれていた。

市庁舎の鐘楼が見える裏通りは、市民の呼ぶ俗称が「小便通り」 ・・・ 正式名称は「Brouwerijstraat(ビール醸造所通り」市庁舎の前の広場ではお祭りが多いので、ここで小便する人が多かったのだろうか?

今でも心なしか小便臭い(笑)

通りかかる犬たちは今でも平気で、その入り口で立小便をする(笑)

 わが家に帰るときの小道

18世紀バロック様式と言われる立派なポンプ立っている ・・・ その上部には聖母子像も祀られた礼拝所となっている。

リール市には18世紀ごろの共同ポンプ(井戸)が十数ヵ所、今でも保存されている ・・・ そのうちの1ヵ所は現在でもポンプが正常に働き、水を汲みだすことが出来る ・・・ スゴイねぇ。

水は大事だからね、世界共通 ・・・ 沖縄の僕が住んでいた田舎でも、昔から(水道がない時代)の井戸や湧き水のある場所は、今でも拝所となって、感謝の祈りをする行事が今でも残っていた。

暑い中、リールの街を歩くMomoちゃん

気温は24度だが、陽当たりの良い所では体感気温が30度はあるんじゃないか ・・・ 僕も額から汗が流れていた ・・・ ベルギーでは珍しい事(笑)

Momoちゃん、知り合いのおばちゃんを見つけると、途端に元気になり、愛想を振りまいて何かをおねだりしている。

お行儀よく座ると、おばちゃんは「いい子だねぇ、Momoちゃん」と、犬のおやつをくれるのだった。

おばちゃんは「犬のあいさつ仲間」 ・・・ 犬の散歩をしている人はたくさんいるが、なるべく他人と関わりたくない人がいるし、犬同士でも挨拶をさせたくない人もいる ・・・ そんな中で、犬同士もあいさつをさせて、飼い主同士もあいさつを交わす人も多い、その中のひとりだった。

Momoは他の犬との相性がはっきりしている ・・・ 小さい頃に出会った犬は大体、今でも大好きで、自分から喜んで駆け寄っていく ・・・ 自分が成犬になってから出会う犬とは、あまり仲良くなりたくない感じだ ・・・ 自我を確立して、自分が優位に立ちたいからだろうか?

人間に対しては可愛がってくれる人には、とことん甘える ・・・ 特におやつを分けてくれる人には(笑)

家(アパート)の前に来て「帰宅拒否」の図(笑)

暑くても外がいい! Momoは日光浴がしたいのだぁ!

まぁ、しばらくは付き合うが、僕はお腹が空いた~

暑いので、なにかさっぱりしたものが食べたいねぇ~

ほうれん草を湯がいてから水で冷ます、トマトも軽く湯がいて皮を剥く。

アンチョビ~

冷やし中華といきたいところだけど、その材料はないので、パスタを標準時間より長く茹でて、柔らかくする ・・・ こちらも水で流し洗いして冷ます。

パスタ、ホウレンソウ、トマトを入れ、アンチョビのオイルを加えて和える ・・・ 少しだけ和風ドレッシング(自家製)も加える ・・・ きっと旨いでしょう(笑)

自宅テラスにテーブルセッティング!

緑に囲まれた空中テラスが最高!


 冷製アンチョビパスタ!

すりおろしチーズをかける

酸っぱい辛い ・・・ 夏向けのメニューとなった。


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22.8.17

最近嬉しかったこと Tennis

2003年6月に始めてベルギーを訪れた時、その年の全仏テニスで女子シングルスの優勝者がベルギーのジュスティーヌ・エナン、準優勝がキム・クライシュテルスという、ベルギー選手の快挙に沸いている最中だった。

2008年にベルギー移住した後は、僕も地元のテニスクラブに所属して、本格的なクレーコート(赤土)でテニスが出来るようになった事も嬉しい事で、ベルギーのテニスクラブや、テニス大会の雰囲気が素晴らしくて、本当に夢のようだと思ったものである ・・・ それが9年も続いたので、僕は幸せ者だと思っている。

2008年と言えば、2月に錦織圭選手が18歳の若さでアメリカのATP大会初優勝を成し遂げて、日本でも注目され、それ以降、とんとん拍子にランキングを上げていくとともに、日本でのテニス熱も盛り上がってきた。

期待に応える錦織は日本人の歴代記録を次々に塗り替えて来た ・・・ 松岡修造を越えたとか、2015年には世界ランキング4位に浮上して「アジア人男子の最高位」を記録した。

そして2016年のリオ・オリンピックではメダルの期待がかかる重圧の中で、見事に銅メダルを獲得した ・・・ ナダルを破っての銅メダルには相当な価値がある。

しかし、しかしだ ・・・ 錦織がまだ越えられないもの ・・・ それが1920年、アントワープ・オリンピックで銀メダルを獲得した熊谷一弥(くまがい いちや)である(熊谷は男子複でも銀メダルを獲得している)。

それは、オリンピック史上、日本人選手が獲得した初めてのメダルでもあった。


さて、ここからが本題です(前置きが長かったネ)

そのアントワープ・オリンピックのテニス競技が行われた会場へ行ってきたのだ!

その名も 「Tennis 7de Olympiade」
第7回オリンピック・テニスではないか!

97年前の1920年、8月16日から24日まで、この会場で熱戦が繰り広げられ、日本人の熊谷、ダブルスペアの柏尾が大活躍していたことになる ・・・ そして、おそらくは24日に、クラブハウス前のこのセンターコートで熊谷選手の決勝戦が行われたことだろう ・・・ 想像するだけでなんだかワクワクするじゃないか。

クラブハウスの壁に掲げられた1枚のパネル。

大きな写真3枚と短い文章で、ここがオリンピックテニス会場であったことを示している。

女子シングルスの優勝者はスザンヌ・ランラン。

へぇ~、あの有名なスザンヌ・ランランがこのコートで舞っていたのかぁ~(いや、バレエじゃない) 伝説の選手、今でもフランスでは「テニスの女神」と崇められ、世界初のプロテニス選手である。

Suzanne Lenglen は、まさにコートで舞う女神だった!
スゴイじゃないかぁ~

男子シングルスの優勝は南アフリカのルイス・レイモンド。

という事は、熊谷はレイモンドに負けて銀メダルになったという事だね ・・・ 勝っていればここに日本人の熊谷選手の写真が掲示されていたはず ・・・ スザンヌ・ランランと並んで ・・・ 惜しい!

この写真は男子ダブルスの決勝戦!

向こう側の二人が日本の熊谷、柏尾ペアか ・・・ スゴイねぇ、見たかったね。

Wiki によると、熊谷は中学では野球部の主将を務め、陸上中距離でも活躍し、慶応大学に入って(日本独自の)軟式庭球をしていたが、大学が1913年に硬式庭球(世界の標準テニス)に変更したので、日本で初めて慶応大学テニス部が硬式テニスに挑戦したという事になっている。

いくら軟式テニスの下地があったとはいえ、熊谷は左利きで軟式テニスのグリップのまま硬式テニスを続け、メキメキと上達し、日本人テニス選手として初の海外(フィリピン)遠征、1916年には3ヵ月間のアメリカ遠征で、60人とシングルスを戦い、土のコートでは1セットも失わず、芝コートで4人に負けた。

この遠征で熊谷は全米ランキング5位に名前が挙がったというから驚きだ ・・・ 1918年の全米選手権ではベスト4の快挙。

それから、1920年のオリンピック銀メダルである。

考えてみれば、日本で硬式テニスが始まって、7年後にはオリンピックのメダリストが誕生したのだから驚異的な進歩だろう ・・・ さぞや歴史の長い欧米諸国は驚愕したに違いない。

現在のようにテレビや新聞、インターネットが広まっていれば、大フィーバーしただろうに ・・・ 時代が早すぎたねぇ。

帰宅した後に、写真を見ながらそんな事を調べたり空想したりで、楽しい時間を過ごした(笑)

Momoちゃんもこの歴史的テニスクラブに来たよ。

そして、Katrienも ・・・ 実は Katrien の参加するテニス大会がこのクラブで開催されていて、僕も応援に来ていたのだった。(バルーンで覆われた屋内コート)

まぁ、試合の方は相手の方が数枚上手で、アントワープ州の同クラスで1位を狙っている若い子だったので、1-6,2-6の完敗 ・・・ これくらい差があれば、負けてもサバサバして「参加料を払ってレッスンを受けたと思えばいいよね」 との感想だった。

僕から見れば、力強いラリーも結構あったので、内容のある試合だった ・・・ 確かに(緊張感の中での)質の高いレッスンだったと思う。

再びセンターコートの前に出て、試合の反省点を話しながらビールを頂く。

ベルギーのテニスシステムは非常にいいと思っている。

初心者レッスンを終えたばかりのレベルから上級者まで、細かくランク付けをして、同レベルでのトーナメントが、何クラスも同じテニス大会で同時開催され、1週間かけて決勝戦まで行う。

 観戦する方も、自分と同じレベルの試合では「自分ならこうするのになぁ、とか、珍プレーながら凄いな」 と楽しめるし、上級者の試合を見ればもちろん勉強になる ・・・ 「いつかは、あぁなりたい」 と ・・・

試合待機している選手、終わった選手は交流も盛んである ・・・ ビールを飲むだけで観戦する人もいる(僕みたいな)

ベルギーテニスの素晴らしい所は、どんなレベルであれ、大会に出場すると勝敗に応じてポイントが加算、減点されてコンピュータ処理され、クラス別にランキングが発表されるので、選手にとっては非常にやりがいがある(プロの世界ランキング並)。

そして、大会の結果は即座にテニス協会のWEBサイトで公開され、それが何年も保存され検索する事ができる ・・・ なので、大会で初めて対戦する相手の過去の試合結果を閲覧する事も出来るのだ(生年月日も公開されている)。

これまで楽しませてくれたベルギーテニスに感謝!


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