29.11.08

Skype通話

 Skype通話って、知ってますか?
 このブログを読んでいるくらいだから、少なくても聞いたことはあるでしょうSkype(スカイプ)はインターネットを利用した、夢のような電話機能を持つソフト&道具です。

 詳しい説明はやめよう。
 
 僕ら夫婦で沖縄にいた時はKatoが、ベルギーの家族、友人に通話するために導入して、重宝していた。

 なにしろ、沖縄からSkypeでベルギーの実家や友人の(インターネットを使わない)固定電話に、電話しても、沖縄で隣の家に電話するより安かったのだから(事実です)。これは、日本の市内通話よりベルギーの市内通話料金が安いためにそうなるのだった。

 今は逆に、僕がベルギーから沖縄に通話するために重宝している。

 先日、Skypeで沖縄の友人の携帯に電話して、25分もおしゃべりしていたが、料金は3ユーロ弱(300円強)だった。友人もびっくりして、「お前はどこにいるんだ!帰ってきたのか?」というくらい。通話品質も良い。

 おまけに、このSkype、インターネット同士なら無料で、ビデオ通話ができる。3者通話もできるし25名まで同時につないで会議が出来る。まあ、そこまでは必要ないが・・・。

 その良さを知って、沖縄の実家と友人宅、大阪の妹宅と、Webカメラ付きSkypeセットを購入し、早速テストし、どちらも大成功!

 いやいや、文明はここまで進んでいたか、と改めて実感できるものだ。
 二昔前、宇宙飛行士と地上でビデオ交信をしていた事を思い出し、まるで、自分が宇宙飛行士になった気分だ。

 昨日は、沖縄にいる友人とビールを飲みながら、2時間余りもおしゃべりをして、お勘定は300円弱でした(ベルギービール3本代)。格安のベルギー自宅居酒屋でしたなあ・・・・。

 相手をしてくれた友人に、ベルギービールをおごる事が出来なかったのが、残念でしたが・・・・。

28.11.08

SUSHIを試食?

ベルギーで「SUSHI」を食べた!

 いつも行く、近くの大型スーパーで買い物をしていたら、海産物売場で、巻き寿司と、にぎり寿司の詰め合わせを売っていたので、買って試食する事にした。

にぎりが、シャケ(生)、ボイルエビ、巻きが、きゅうり、シャケフレーク、イクラなどが巻かれていた。

 まあ、シャリは酢飯で、味は、スーパーで売っているものとしては、普通かと思うが、さすがにマグロとかサバとかタコ、玉子、ウナギなどは無理なんだろうなあ・・・。

 感心したのは、日本並みに割りばし、ガリ、わさび、醤油がちゃんと付いていた事。容器のプラスチックパックも専用に作られているようだった。(値段は、円で600円くらいだったから日本と、そう変わらない?)

 んーーん、どんな人が買うんだろうか?(僕みたいな人は1週間に3名くらいしか来ないはずなのに)
 日本食通のベルギー人が買うのだろうか?

 リール市にもSUSHIレストランがある。(入った事はないけど)
 チラシを見た事があるが、やっぱりアメリカ風で「カリフォルニア・ロール」とかのメニューがあったので、行きたいという気が削がれたのだが、いつか入ってみたいと思う。

 中国人のチョイが言っていたけど、都会にある、きれいな店のチャイニーズレストランの料理は、西洋化され、中華料理とはちょっと違うらしい。 

ベルギーから沖縄へ空手

 沖縄の空手は、世界へ普及している。

 ヨーロッパでもベルギー、フランス、スペインなど支部を持っている流派もある。僕の知っている剛柔流ベルギー支部(オランダ語圏)は、度々本場の沖縄合宿を行い、本場の空手を受け継ぐ努力をしている。

 僕が沖縄にいたときにも3度ほどその合宿が、近くであったので、知人である道場主からの依頼で、妻(Katorien)が通訳を頼まれる事があった。

 通訳と言っても、交流会の時の通訳で、稽古の時は通訳はいらない。「突き」「蹴り」などは日本語でそのまま通じるし、後は型の伝授だから、言葉はいらないのだろう。

 僕も何度もその稽古を見ているが、ベルギーから沖縄まで行くだけあって、本場の先生の、一挙手一投足を見逃さないように、みんな真剣そのものである。

 そして汗を流した後の、交流会も言葉の壁を越えて、和気あいあい、空手を愛する者の文化交流で盛り上がる。

 特に沖縄なので、独特の文化(三味線と歌、踊り)料理(チャンプルー、沖縄そば)が出て、遠来のベルギー人をもてなせば、彼らが「上を向いて歩こう」をアカペラで、歌ったのには驚いた覚えがある。
 そして今回、またベルギーから10名程度、沖縄合宿に行くということで、今日、出発した。
 僕らもせっかくベルギーに来たのだから、一度は彼らに会ってから、沖縄に送り出したかったが、予定していた日が、例の大雪の日だったので、キャンセルしたのだった。

 会えなかった事がちょっと残念だったが、今日、電話で「僕たちはSkypeの入ったノートPCを持っていくので、向こうから連絡します」との事だった。
 こちらでも、カラテ、ジュードー、サケ、キモノ、スシ、サムライ、ゲイシャ、くらいは一般の人にも分かるみたいだよ。
 日本人が、ベルギーのチョコレート、ワッフル、ダイアモンド、ビール、フランダースの犬を分かるみたいにね。

26.11.08

寒い時は鍋料理!

 このところ寒い寒いの話が続いているが、寒い時に食べたいのは鍋料理だ。
ベルギーに鍋料理がないわけではない。むしろ寒い地域のこちらでは、当たり前の料理なのだ。具だくさんのスープがそれに当たるだろう。Katoもよく、牛肉のビール煮を作ってくれる。牛肉の煮込みにはビールを加えると肉が柔らかくなるのだそうだ。特にベルギーの黒ビールなら最高だと。ビール煮はおいしいです。食料の乏しかった昔は農家では、自家製ビールで、ビール粥を食べていたと、歴史の本では書いてあった。

 ところが僕が今食べたいのは、日本の味噌を使った鍋料理なのだ。
 それで、以前にアントワープの中国超級市場で買っておいた味噌と、だしの素があったので、昨日は、近くのスーパーで白菜、シャケ、エビなどを買ってきて、玉ねぎ、ポテト、人参も入れた鍋料理を作って食べた。久しぶりの味噌の味は懐かしく、おいしかったー。(こちらの海産物は海の香りがちょっとしかないのが残念なんだが・・・・なぜだろう?)

 そして今日は、ご飯を炊いたので、昨日の残り汁に入れて雑炊を作るのだ。
こちらの電磁調理器での、お鍋で作る白ご飯の炊き方が、回を重ねるごとに上手になっているので、料理のレパートリーが増えるというものだ。この間はチャーハンもおいしく作れたぞ!

 次は天ぷらにチャレンジだ!
 

オランダ語学校「臨時休校」

 オランダ語学校のヨルヘン先生が、風邪のため登校できず、学校は先生一人でやっているので、生徒の一人に携帯電話で、「僕、風邪ひいているから、家で休むので、学校へ行けないからみんなに伝えてくれ」と、言ったらしい。生徒は、みんな知らずに寒い中、教室に入ってきたので、この「臨時休校」の知らせを聞いて「ヤッターー!」と大喜びして、大歓迎したのであった。

 先生から電話を受けた中国人女性(チョイ)が、黒板に大きく、先生の携帯電話番号を書いて「木曜日の授業ができるかどうか、確認したい人は電話してみて」と言ったのだが、若い女の子がさっそく、ピッピッピと、電話しようとするので「ダメダメ、先生は今、風邪で寝ているから邪魔しないで」と、制止するのだった。

 そのチョイが、「せっかくみんな時間を作って来たのだから、コーヒーでも飲みに行きませんか」と提案し、10名くらいの人が賛同して、リール市の遊歩道を散歩しながら、インターナショナルな会話を楽しんだ。途中で、帰り道になり去る人もいた。

 最後まで残った人の国籍はこうだ、中国人1(女性)、フィリピン人2(女性)、タイ人1(女性)、トルコ人1(男性)、南アフリカ人1(女性)日本人1(僕)

 何語でしゃべるかって?教室ではオランダ語中心だが、外ではやはり国際的な英語が役割を果たす。僕は英語も怪しいので、習いたてのオランダ語と英語を混ぜながら、話している。
 ヒェーンプロブレム(心配いらない)。みんな言葉の壁にチャレンジしている人たちだから、分かりあえる。

 最後にチョイの経営する、チャイニーズレストラン(開店前)でお茶をして、おしゃべりして楽しんだ。
 チョイは「マイ、アイディア」として、「学校には世界の各国から集まっているから、卒業式までに、みんなでパーティを開きたい。その時は、それぞれの国の料理を作って来て、試食しようじゃないか?ワインは私が提供します」と提案したのだった。

 この会話に参加した人たちは全員賛成!フィリピン人から「テンプラ、スシ」と、早速注文があった。

 さてさて、また目標が増えた。スシは経験済みだが、テンプラはまだだ。また、スーパーで食材探しと、テンプラの試作が始まる。

卒業式は来年の1月の終わりごろだな・・・。
なんとも、おもしろい学校だ。

本格的に冬なのか

 日曜日の雪騒動から、一夜明けた月曜日も雪が降り、夜中は路面凍結注意のラジオニュースが流れ、それに絡んだ交通事故もあったようだ。

 昨日(火曜日)も朝から寒くて、学校へ通うにも、足元注意!時々、ズルッと滑ったりした。転びはしないものの、ちょっとスリリングな登校だった。道路や歩道には、氷砂糖(ザラメ)を散りばめたように、白い粒が散らばっていて、小さい氷の塊が解けずに昼まで残っていた。
 小さな水たまりには薄氷が張っていた。週間天気予報でも毎日最低気温は0~3℃、最高でも7℃で、土曜日は雪かも?という予報だ。

 沖縄から来た僕にとっては、初物尽くしの一週間である。雪は初めて見るわけではないが、生活の中で見るのは、名古屋に住んでいた30年前以来だ。
 本格的冬物衣料を持っていない僕は、Katoの父のお下がり(?)のセーターや、ジャンパーを着て(サイズがでかいのだが)しのいでいる。冬慣れしている現地のみなさんは、さすがにマフラーや、ロングコートやブーツなど凄まじい格好をしている。
 いや、凄まじいというか、みんなセンスがいいので「カッコいい」。特に女性はここぞとばかりに、着飾るのは得意とするところだろう。

 日本人の目からすると、金髪でスラッとした背の高い女性が、着飾って颯爽と歩く姿は、近寄りがたく、ファッション雑誌から出てきたようなモデルに見える。
 しかし、現実に街を歩くと、そいう人々がわんさといるわけで、避けてばかりもいられない。袖が触れ合ったり、ドアの開け閉めとかで「ソ-リー(ごめんなさい)、ダンクゥー(ありがとう)、パルドン(失礼)フッドゥモルガン(おはよう)フッドゥミダッヒ(こんにちは)」などと、小さい声かけは必要である。

 本格的冬に突入し、草木も枯れ、これから3月頃まで、耐え忍ばなければいけないが、毎日がファッションショーだと思えば耐えられるか?

 Katoが「そのかわり、春には春の息吹で感動的だよ」言う。確かにベルギー人が、太陽と緑と花をこよなく愛するのは、このような風土のせいだとよくわかる。

 まだ、冬は始まったばかりだ・・・・・・・・・。

23.11.08

約束の雪景色

 楽しみにしていたベルギーの雪景色を、こんなに早く見る事ができるなんて、思いもしなかったが、11月に見られたのは、ベルギーにとっても記録的な事であるらしい。

 「夏は太陽を呼ぶ男、冬はyuki男」なんて呼ばれそうだ。

 きのう書いた通り、今日は朝から0度から2度くらいで、昼過ぎから雪が降り始めた。最初は、はしゃいでテラスに出ては、写真を撮っていたが、今日は「WEEK VAN DE SMAAK」(味の週間)というイベントが、リール市(Stad Lier)の中心付近であり、世界各地の味が屋台で楽しめるというので、Katoとおやつを食べに行くつもりで出かけた。

 雪はずっと降り続き、中心広場の大型吊り下げテントの中で、しばらく休み、無料配布されていた、リール市の名物タルト菓子、リールス・ブラーイク (Lierse vlaaikes)食べていたが、Katoが「このテント大丈夫かな、だいぶ雪が溜っているようだけど・・・」というので、ほかの場所の屋台を回って、トルコあたりの巻きピザを食べたり、温かいニンニクスープを飲みながら、雪の中を歩いていた。

 あまりの雪に、ベルギー人たちも「この時期に、こんな雪は初めてだ」と口々に言っていたようだ。ザックザックと雪を踏みながら歩き、そろそろ帰ろうかと、中心広場を通りかかると、人混みもなくなっていたので、どうしたのかとよく見たら、テントが破れて落下していた。
 幸い、救急車や、パトカーなどなく、パニック状態でもなかったので、大した事故にはならなかったようだが、Katoの心配が的中した形になっていた。
 大型クレーンでの吊り下げ式だったので、上部に鉄骨などの重量物がなく、パラシュート状の軽い布と、雪だけが落ちてきたので、惨事には至らなかったようだ。
 しかし、中にいた人たちは突然、屋根から大量の雪がドサッと落ちてきて、ビックリしただろうねえ。

 雪景色を、しっかり写真に収めてきたから、楽しんでくれ。webアルバムに多く納めてあるよ。

 12月のクリスマスの頃に、これくらい降ってくれれば、みんなに喜ばれることだろうが、違う場所では、ベルギーは大混乱していたようだ。
 高速道路の大渋滞のニュースがあった。殆どの人はまだ、冬支度をしていなかったようだね。それくらいベルギーでは記録的、早い時期のまとまった雪だった。
 夕方の気温、マイナス1℃だった。

ベルギーの星がきれい

 今日の午前中に、雪が降ったという報告をしたが、今は夜中(12時を過ぎた)。テラスに出て空を見上げると、星がきれい!
 沖縄でもきれいな星空は何度も見てきたが、ここでも沖縄に負けないくらいきれいな星が見える。まして、身も凍るような中で見る星空は、空気も澄んで余計にきれいに見える。
 アパートのテラスからだから、満天の星が見えるわけではないので、星座がなんだとか、わからないのが残念だが、南国沖縄とは違う星がたくさん見えるに違いない。だけど寒いから、ロマンチックにずっと外で星を眺めるわけにもいかないのだ。

 今日は午後から、Katoの父親に会いに行ったが、高速道路でも雪が降り、視界を遮られて危なかった。夜の11時頃までいて、帰る時には、外に止めてあった車の屋根には雪が積もり、窓ガラスは氷が張っていた。それで先週、買っておいた「氷はがしヘラ」で、ガリガリ氷を落として、エンジンをかけて、窓に温風を送り、曇りを取ってから出発した。
 まさかこんなに早く役に立つとは思わなかったので、車の中で、二人して「いい買い物をしたねぇ」なんて、自己満足していたのであった。

 帰り道の道沿いにある、給油所などの電光掲示板の温度表示は0度だった。
 それでさっきの話「星がきれい」ということは晴天で、明日も気温は下がるということだ。
 TVの天気予報でも「曇り時々雪まじりの雨」みたいな表現だった。明日、雪景色だったら、写真にして報告する事にしよう。
 
 こちら午前1時。日本午前9時。おはよう!おやすみ。

22.11.08

速報!雪が降っている!

 土曜日の朝、8時頃起きた時には天気が良かったので、少しオランダ語の勉強してから、午前中に市内散策に行こうかと思っていたら、外がちょっと暗くなったので、窓に目を移すと、なんと!雪が降っている。

 感激!ベルギーに来て初雪は、思いがけなく急に降った。

 昨日、南部の方で降るだろうという事を書いたが、まさかここ(北部)で降るとはね。

 ベルギーでは天気が良いと気温は下がる。雨が降ると温かい。
まさにその通りの事が起こった。朝天気が良くて気温が下がり(3℃だった)雲がかぶさってきて雪になる。

 面白い現象だ。

21.11.08

テラスから4枚の写真

今朝は、外の温度計は8度くらいだったのだが、風が強く、学校へ出かける時に、雨も降ったので、さらに寒く感じた。枯葉が歩道でくるくると渦を巻いて、移動していく。

 今日も、季節の変わり目を感じたので、アパートのテラスから、外の写真を撮ってみた。

 11月4日に書いた「アパートの窓から4枚の写真」と、比べてもらいたい。
 あれから17日後、今日のアパートのテラスから見える風景は全然違っている。

 そろそろ、枯葉清掃の仕事はしなくて済むんだろう。こちらでは毎年の事なんだろうから、落ち葉の時期は、遊歩道など、周りが広い所では「枯葉吹き飛ばし機」町中の歩道などでは「枯葉吸い取り機」など、様々な道具も開発されている。よくまた、まめに掃除をしてくれるものだと感心するが、これも消費税21%、所得税も世界最高水準のベルギーだから為せることだろう。

 庶民には「儲かるほど税金に持っていかれる」。金持ちには「なーに、それ以上儲かればいいのさ」に分かれてしまうんだろうね。
 ネットで日本のニュースを見ていたら「日本も消費税引き上げか?」という記事(ちょっと前の話)もあったが、いつ引き上げられるか分からないが、もし引き上げられたら「ベルギーは21パーセントだってねぇ」なんて、気休めにしてくださいな。

 オット、季節の話をするつもりだったのにお金の話に転んでしまった。
 今、アパートのテラスから見える風景は、例の市壁跡の遊歩道がくっきり見える。4階の高さよりも大きな大木にも葉がなくなり、強風に枝を揺らしている。
 野鳥も、おそらく自然界の餌が少なくなったのだろう、アパートの1階(ここでは0階)の人が投げるパンを拾いにやってくる。写真に写っているのは鳩くらいの大きさで、色がきれいに白黒に別れている野鳥、面白いので遠くからでもこの鳥はわかる(名前は知らない)。
 ベルギー南部(山の多いところ)では、来週あたりに雪が降るのではないかと、天気予報で言っていた(らしい)。

 季節と言えば、もうすぐクリスマス。ベルギーはカトリックの国だからクリスマスも本場と言えば本場だ。本場だから本物のサンタクロースがいる(はず)。本物の暖炉があり、絵本のような、本物の煙突もあるから、本当に来そうじゃないか?
 しかし、先週、義姉の家の暖炉の使い方を見たら、「夜中とはいえ煙突から暖炉を通って家に入るのは無理ですぜ、サンタさん」と、子供心にも思うよ。(暖炉の全面は火が飛び散らないように強化ガラスで閉めてロックされる)

 それでかどうか、この間、TVでベルギーの子供たちが、スペインのサンタクロースに会いに行ったって、ドキュメントをやっていたが「ベルギーには居ないんかい?」と疑問を残してしまった。

 そろそろ、クリスマス準備でお店のチラシも、クリスマスのデコレーショングッズで賑わってます。
 こちらでは2回くらいクリスマスパーティーを開くみたいだね。ひとつは実家で、孫たちも集まり、盛大にやって、もう一つは、家族で静かなクリスマス。

 僕らは、両親を囲んでのクリスマスと、義姉の旦那の実家でのクリスマスパーティーに招待されている。

18.11.08

ベルギーで初ペット

  オランダ語学校では昨日から、2学期(?)で、教科書が1.1から1.2へバージョンアップした。
 今日の授業の中でたまたま、先生が「あなたの家でペットを飼っていますか?」という質問をみんなにした。

 こちらでは家で飼うペットをHuisdier(ハウスディール)と言うのだが、生徒の答えは「ヒェーン、ハウスディール(ペットはいません)」とか、「猫を飼っています」「ワンちゃんがいます」とかだったが、僕の番に来た時に「ホンドレッド、ワーム(100匹のミミズ)」(意味不明のオランダ語で)と答えたので、みんな「なんだそれ!」と驚いたので、紙に絵を描いて、ジェスチャーで、指をくねくねして、「土の中にいるのさ」と説明したら分かってくれたが、爆笑だった。

 休憩時間に女の子が来て「masayuki、ミミズを飼っているの?それどうするの?」みたいに聞くので「ああ、料理の時に出る野菜くずを食べてもらうのさ」と、答えたつもりが
 「料理の時に出して、野菜といっしょに食べるのさ」と受け取られたようで
 「げぇーーーー」って顔をしていた。(神秘の国ヤパンから来た男は怪しいヤツと思われたか)

 あ、しまった!と思って「いやいや、食べない!たべない!ペットだよペット」と、打ち消すのに苦労した。

 それくらいオランダ語がまだまだ通用しないのである。
 本当は「ごみ減量のために、コンポストで、ミミズに野菜くずの処理をしてもらっているんだよ」と、正確に答えたかったんだが、その辺が難しくてねえー、オランダ語きびしいわー。

 市からの補助を受けて、家庭で出来るごみ減量として、コンポストセットを購入。そしてKatoの同級生で、それを実践している人がいて、その人から主役のミミズを分けてもらって、10月19日から、我が家のペットになっている話であった。

 こちらでもやはり、ゴミ問題は深刻に受け止めているようで、ゴミの分別、減量化にはだんだん厳しくなっているようだ。

 ビール瓶のリサイクルがほぼ100%なのが救われる。

16.11.08

ベルギーの田舎の家(ペール市)

 オランダ語のテストも無事終わり、息抜きも兼ねて、土日の泊りがけで、義姉の住むペール市(stad peer)の家に遊びに行った。(ペール市はベルギーの北東にあり、オランダの国境まで車で15分位の所。peerとは洋梨の事、市内に洋梨のオブジェがあったりする)
我が家のあるリール市(stad Lier)から高速利用で70分位で行ける。
 農村風景の広がる田舎の方なので、牧場が多い。散歩をすると、牛、馬、羊、鹿、山羊の牧場をゆっくり見ることが出来る。牛も羊も、道行く人に興味がるのか、草を食むのも止めて、顔をあげ、通り過ぎるまで、ずっとこちらを見ている。シカは臆病で、道の近くにいたものまで、駆け足で奥の方へ逃げていき、遠くからこちらを見ていた。

 霧雨にけむる農村風景だった。途中、乗馬クラブもあり、この日、子供の大会があったようで敷地内には、たくさんの馬運搬用の牽引車が停められていて、乗馬服に身を包んだ小中学生くらいの子供たちが、颯爽と馬にまたがり、練習をしていた。
 こちらでは結構盛んなんだね乗馬が、週末は自家用車で(馬を乗せる)牽引車を引っ張り、乗馬クラブへ向かう車をよく見かける。と、言う事は、自分の庭で馬を飼っていて、時々、乗馬クラブのコースを走りに行くと言う事か。趣味のレベルが違うね。

 義姉の家も、昔農家の家だったのを購入したらしく、大きい。建物の半分は倉庫である。
そして、うれしい事に本物の暖炉がある。その日も暖炉に薪をくべてくれた。メチャクチャ寒かった訳ではないが、夕食の後、ゆっくりワインやビールを飲みながら、おしゃべりするには、最高の雰囲気だ。こちらでは、田舎の一軒家では大抵、暖炉はあるようだ。
 寒い田舎の地域だと当然のことかもしれない。薪はタダか安くで手に入るし、遠赤外線の効果もあるだろうし、眺める楽しみもあるし、煉瓦が暖まると、長持ちするからねぇ。土曜日の夜使った部屋は翌朝も暖かかった。

 Katoと姉は、まだまだ積もる話があるのか、ずーっとオランダ語で話し続けるので、僕にとっては、隣で聞いていて、聞き取りの練習だ。

 Katoは12年も日本生活をしたので、ベルギーの「浦島たろう」状態だから、兄弟たちや親しい友人と会うと、もうほんとに話が止まらない。

14.11.08

PROFICIAT!! (おめでとう!)

 オランダ語試験(超初級)合格ライン超えましたよ! 
 100点満点中、62.5点獲得。

 日本語が全く使えない状況の中で、オランダ語も「ゼロ」の状態から、2ヶ月でこれだけの点数を取れたのは、我ながら天晴れじゃーーないか?我が家にはKato先生もいるから(大船に乗ったつもりで)功を奏している。

 書く・聴く・読む・話す、の4項目で、すべて50%以上の得点だった。

 「読む」が一番、点数が高くて、他は50%そこそこ。まだまだ、聞けないし話せないし書けないよー。

 30名のクラス中、恐らく下から4・5番目くらいじゃなかったか。

 そんなわけで、テキスト1.1から1.2へ進む事になり、テキスト1.2を購入した(15€)。(0.1しか進めないって言うのがなんとも言えん)

 それで僕の今後の日程も、来週から、今までと同じように、週4回のオランダ語教室通いが続く事になった。1.2のテキストは来年1月の24日まで続く。その後の事はわからない。

 不合格、もしくは(1.1を)希望するなら、来週から来年1月の27日まで長期バカンシーだったのだが、そんなにのんびりしてはいられないんで、今の連続(1.2)で突っ走る事にした。

 Kato先生に付いて、家庭学習もしないとね、追いつけないわ、クラスの他の生徒に・・・。みんな、ベルギー在住では、僕より長いキャリアがあるからね。

13.11.08

テニスが好調!


 試験が終わった後、今日はテニスをしに行った。
 こちらは寒いし、雨も多いので、9月からはウインターシーズンと言って、6ヶ月間、屋外のテニスコートは使用禁止になる。もっとも9月は天気が良いと、ベルギー人はみんな当然のように外でテニスをする。
 ベルギー人が、いかに日照不足か分かる。と、言う事はベルギーに住む僕も、1年もすれば立派に日照不足だ!
 そう、長年沖縄で培ってきた日焼けの色は、すでに落ちてしまった。色白のMasayukiをいつかお目にかけましょう。

 ああ、そう、テニスの話。Katoと二人で、今でも週に3回、無理してでもテニスをする事にしている。一番大事な健康管理を、楽しく出来るからだ。クラブ会費はちょっと高かったけど、こちらの厳しい冬でも室内で運動が出来る事は願ってもない事だ。

 こちらに来た時、沖縄の時から引きずっていた、股関節の痛みがなくなったと思ったら、こちらの柔らかいベッドのせいで、寝ている間に腰が痛くなって、やばい時期もあったが、ベッドのマットを硬いのに替えたら、良くなった。

 それで、今週のテニスは絶好調で、コートの端から端までダッシュしても、どこも痛くない。何だか久しぶりの感覚なんだなぁ。

 おかげでKatoが「私は、一生懸命やっているのに、甘いボールばかり打っているの?」と聞くが、「いやいや、今は僕が走って拾いまくっているから、取れるのであって、普通ならあそこで決まっているよ」と、慰めてやらなければならなかった。

 好調の要因で大きいのは、2kgの体重減があるのではないか?長年達成できなかった70kgをベルギーに来てから、ついに切った。

 けして、ベルギーの食事が合わないわけではない。ビールをやめたわけでもない。その原因は、沖縄時代の夜の外食がなくなったからではないか。これが大きいと思う。お付き合いで外食して、居酒屋でビールを飲む事がないからね、沖縄ではそれが多過ぎた。

 こじつけて言うならば、ベルギービールを、様々な種類飲んでいるが、中には生きた酵母の入っているビールもあるのだ。ベルギーでは、昔は食事と同じように、飲んでいたと言う事である。薬用であったとも・・・・。たしかに、修道院ビールとかランビックなどは濃くて、薬を飲んでいるような気がしないでもない。

 あまり、こじつけすぎると眉唾っぽくなるから止めるか。

オランダ語スピーチテスト

 進級試験のひとつで、MONDELINGE XAMEN(口頭試験)があった。
要するに、聞きとって、答える事が出来るかのテストだね。

 大体は、予定されていた質問だったので、すんなりと行ったが、スーパーのチラシが2枚あって、それぞれのチーズの値段を読み上げる問題があり、それはすぐに答えた。

 そのあと、「どちらのスーパーが安いですか?」と先生は聞いていたはずだが、聞き取れずに答えられなかった。先生は、英語を交えて説明したので理解できた。

 朝は何時に起きましたか?その後何をしましたか(パンを食べて、コーヒーを飲んで、インターネットで日本のニュースを見て、少しオランダ語の勉強をして・・・)
 後半はだんだん怪しくなってきたが、先生はふんふんと聞いていた。

 「OK!では明日の朝9時に学校へ来てください。結果の発表があり、進級か落第か決まります」で、終わった。10分間の口頭試験であった。

 泣いても笑っても明日、僕の今後4ヶ月の過ごし方が決まる。

 落ちた時の言い訳は、たくさん用意してあるのでお楽しみに・・・・! 

12.11.08

小包荷物、第2陣到着!

 先週6個しか届かなかった荷物、心配していたが、今日、残り全部の9個届いた。
今日届いたのは全て、開封検閲済みだった。DVD200枚の映画全部観たのかしら?余ほど価値のある品物だと見られたのか税金として合計90€取られた。小包15箱(機織り機含む)沖縄の郵便局で110,600円支払、+90€と言う事になった。某引っ越し会社に見積もりさせたら51万円也だったので、かなり節約できたなあ、自分で苦労した甲斐があったと言うものだ。

 Katoの機織り機も、一部欠損(支障のない程度)はあったものの、無事届いた。「ベルギーで織る芭蕉布」って言うのは、ちょっと無理かも知れないが、沖縄製の機を使ったベルギー織とか、そういったちょっと変わったものが誕生しそうだね。Katoはここに来ても、機織り教室へ通っているので、何か新しいアイディアが浮かんでいるかもしれない。

 前回書いた、足りない部品たちが全部届いた事になる。
 僕が楽しみにしていた、DVDプレーヤーのリモコンと、映画を録画したDVDディスク200枚。これでベルギーの冬の夜長を退屈しないで済むって言うものだ。

 それからミニコンポのスピーカーも届いた。段ボール箱を片づけてから、さっそくDVDもミニコンポもつないで、動作チェック。両方ともOK!「吉田拓郎」の歌声も聴けた。ナイス、ナイスである。

 一段落してから、さて、コンポもDVDレコーダーも時計の時刻を合わせるかと、いじり始めた時、突然「ブチッ」と音がして、2台とも表示が消えた!(電源が落ちた)

 調べてみると、電源に使っている変圧器が熱を持ち、息絶えていたー。
こちらは家庭の電圧が240V、日本は100Vなので、日本から変圧器を持ってきていたのだが、容量オーバーだったようだ。ご臨終でした。

 こうして、DVDで映画を見る、コンポで日本のフォークソングを聴くと言う夢は、はかなくも一瞬で飛び散ってしまった。この辺の電気専門店で売っているかしら?。

 まあ、パソコンでCDは聴けるし、その気があればノートPCでもDVDの映画も観られるんだけどね。
そこまではまだ、ホームシックにもなっていないし、暇でもない。

11.11.08

第一次世界大戦休戦記念日

 こちらベルギーでは、11月11日は、第一次世界大戦休戦記念日と言う事で国民の祝日だった。
TVのニュース番組でも、時々そのことに触れ、あの地上戦だった大規模な戦争の事を、何度も振り返り、どこかの町では記念式典もやっていた。

 休戦記念日と言うのは、大戦も長期化し、力を失った国は降伏し、その他の国も次々休戦協定を結び、最後にドイツが連合軍との休戦協定に署名したのが1918年11月11日だった。これにより全ての軍事行動は停止し、正式にはヴェルサイユ条約の締結(1919年6月28日)により戦争は終わった。

 ベルギーにはもう、90年前のその戦争を体験して、語れる人はいなくなったと言う事だった。900万人以上の兵士の死者を出したと言うのだから、民間人を入れたら相当な死者が出たことだろう。
 5年にわたる戦争で、各国経済、世界経済の疲弊もささることながら、15・6世紀あたりの世界の遺産もかなり壊されたことだろう。今、目に出来るヨーロッパの建築もその後復元されたものが多い。戦争がなければそのまま残っていたことだろう。

 TVでは、その悲惨な戦争を語り継ぐと言う事で、ある男性が孫を連れて、祖父が戦死した塹壕の中へ行き、悲惨な戦争の話を聞かせている姿が映されていた。

 沖縄でも第2次世界大戦の記憶が、今も生々しく語り継がれているが、こちらでもやはり戦争は悲惨なもの、無益なものであると、誰もが分かっている。

ベルギーに来て2ヶ月

 ベルギーに来て2カ月がたった。いろいろな変化がありすぎて「まだ、2ヶ月かよー」と言う感じだ。

 9月10日に夫婦でアムステルダム・スキポール空港に降り立ち、電車でアントワープ経由リール市に着いた。

 その日も、天気が良かったので、アントワープ駅まで迎えに来てくれたベルギーの兄夫婦と、リール市内を散策して、外のテラスで昼食をとった。その時から移住生活が始まったのだ。兄は「ベルギーは夏の間、雨が多くて天気は良くなかったよ、Yukiが来たとたんに、この天気だ」と、歓迎してくれた。

 そう、僕が過去に3回、ベルギーを訪れた時、すべて好天に恵まれていた。ベルギーの家族間では「Yukiが沖縄から太陽を運んでくる」伝説は生きているのだった。
 僕は「これからはお客さんじゃない、ここに住むんだ、甘えてはいられないぞ」と、胸の内では少し不安と複雑な心境だった。で、迎えに来てくれたお礼に昼食代を(Katoが)支払ったのだった。

 さて、家に帰り荷物を解いて部屋の中を改めて見回すと、両親が住んでいた部屋なので、家具やキッチン用品などあるし、電気・ガス・水道・電話も使える。
 一見、何の不自由もなかったが、ノートPCは持ってきたものの、インターネットが使えないから、威力半減。TVもなかった。かろうじてラジオがあったので、FM局のクラシック音楽とニュースをやるKraraをいつも聴いている。

 さっそくインターネットの申し込みをしたが、3週間もかかると言う事で10月2日までお預け。
 一週間後にKatoの強い勧めで、オランダ語学校へ通う事になって、生活のリズムの基準が出来た。
それから、ダラダラしないように、沖縄での生活リズムと言う事で、テニスをする事を取り入れて、体力と健康づくり。このテニスと、オランダ語学校の予定を、先に入れておいてから、他の用事はする事にした。
 天気が良い日は、リール市内の散策はカメラを持って一人で出来るし、買い物などは二人で出掛けた。

 9月24日から車が使えるようになったので、行動が自由になり、近郊の大型スーパーや、電気店周りをして、日用品、食料品、ビールの買い込みをして、インターネットとケーブルTV回線が10月2日に開通するので直前に、液晶TVを購入(SAMSUNGの32型)。

 インターネットが使えるようになってから、沖縄の友人知人に、メール書きまくり。何度も同じ文章を書いている事に、ふと気付き、「えぇーい、近況報告はブログと言う形で、一般公開してやろう!」と思い立った。その上で、細かい連絡のある方は、メールでねと言う事にした。

 それと、Skypeを利用した格安電話も使えるようになったので、沖縄の家族や友人たちにも、気兼ねなく話が出来るようになった。

 そうしたことで、少しづつ環境にも慣れ、精神的にも落ち着いてきた。オランダ語はまだまだだけど。


 最初の1ヶ月は、ほとんど旅行者の気分で、毎日ホテルに泊まっているような感じだった。

 2か月目を記念してか、今日はリスがアパートの前の遊歩道近くに現れた。落ち葉の色と同色なので分かりにくいが、ちょろちょろ動き回るので、見つけることが出来た(また写真に撮れなかった)。
緑の森のようだった遊歩道沿いも葉が落ちて、枝が寒そうに木枯らしにさらされている。そして空はどんよりとベルギーの空だ。

10.11.08

試験終わった!

 EXAMEN(試験)が終わった。
 schrijven(書く)luisteren(聞く)lizen(読む)
 3つの部門に分かれていて、書くと聞くはあやふやが多かったなあ。
 特に聞くテストでは、フンフンと聞いていると、突然終わってしまって「えっ?どこに答えが含まれていたの?」てな感じで、さっぱりだった。まあ、答えは3択だったから3割3分あたっていればいいんだけど。
 読むテストはなかなか良かったのではないかと、自分なりに手ごたえをつかんだ。(えらそうに)

 後は、木曜日のスピーチテスト。
こんな感じ「 」は先生。(  )は僕。
「元気?」 (ええ、元気ですよ、あなたは?)
「元気だよ、ところで君、自己紹介してくれないか」
(私はmasayukiです。私は日本から来ました。日本語と、少しのオランダ語を話します。私は結婚しています。子供はいません。私はリール市に住んでいます。ベルギーに来て2カ月になりました)

「ありがとうmasayuki.ところで今何時?」(〇○時です)
「君の誕生日はいつですか」(6月20日です)
「君は何歳ですか?」(51歳です)

その他「君の仕事は?」「君の電話番号は」「住所は?」「奥さんの名前は?」「好きな食べ物は?」

いろいろ、聞かれると思うが、上記の事はシミュレーションしているから大丈夫。(これ以上は聞かないでくれよ!)

合格発表は木曜日だ。明日(火曜日)はベルギーでは「第一次世界大戦の休戦記念日」で国民の祝日となっている、

9.11.08

あとは運任せさ

 今日の家庭学習は終わり、頭も回らなくなったので、あとは運任せ。

 もう23時を過ぎたので、寝る準備にかかろう・・・・

 って、ビールを飲み始めた。今日はちょっと度数の高い(10%) トラピストビールのロッシュフォールトだ。これを飲んだら快眠間違いなし!

 今日は日曜日で、昼間Katoと、近くにある大型家具屋へ事務机の下見に行ってきた。

 ベルギーに来てから思うのだが、毎週来るチラシの数々の中で、結構多いのが家具屋やインテリア用品のチラシだ。確かに僕がいままで訪問した事のあるベルギー人家庭はどこも、おしゃれに部屋の中を飾っている。センスが良いだなぁ、みんな。

 前にも書いたように、ロウソクひとつとっても、何かロマンがあっていいよねぇ。そういう事を年をとっても忘れない、家庭の中だから、家族しかいないから、どうでもいい、なんて誰も思ってないだろう。家の中をみんなきれいにしている。

 ああ、その家具店もいつも盛況で、お客さんも部屋作りの参考にか、よく訪れているようだ。(家具を売るだけじゃなく、部屋作りの提案型なんだよね)
「なるほど、これだったウチでもこうすれば良くなりそうじゃないか」とか、客もアイディアが浮かんで、何かしら買って行くんだろうね。

 こちらの家具の重い事ったら大変ですぜダンナ(おっと突然)
小さい引き出しの並んだ棚を、持ち上げようとしたら、ぎっくり腰になるくらい重い!(鉄板でも入っているのか?)

 値段も少々高めですけど、この重さなら納得するさぁー

 日本で太鼓と言うか、あの貼り合わせの家具じゃないから、一枚板(無垢材)を使っているから、滅茶
苦茶重い。少々高くても100年200年もつなら安いのかなあーと思える代物だ。

 Katoも、「これは、おばあちゃんが着ていたパジャマ」とか言って、自分が着たりする。高校時代の制服のシャツがまだ、着られたりする。体型もさることながら、デザインだって古臭くはないから、大したもんだ。

 日本の現代は軽薄短小、こちらは重厚長大なんて言いますけど、日常生活から感じてしまう、今日この頃。

明日はオランダ語の試験だ

 勉強せねば!と、思っているのだが、何をどうしたらいいか分からない。
 学校での授業は、どんどん進んでいくのだが、僕の、頭の記憶速度が付いていかない。

 頭の中(習得率)は3つ進んだら2つ戻る状態を繰り返しているのに、授業内容は加速度的に、前に進んでいくのだから、ついて行けるはずがない。

 授業の中ではもう、立派な文章が出て来て、「それを読んで以下の質問に答えなさい」みたいな問題があるのに、文法どころか単語単語も、日常生活の物さえ分からないっつーのに、初めて見る単語が当たり前に出てくる。

 アパートの1階を表すのに「benedenverdieping」(ベネードゥン ベルディーピン)とか言いやがる。こちらでは1階は0階と言うから「beneden」は下、「verdieping」は階で、下の階、という意味だそうだ。

 先日、小包が届いたときKatoは外出中だったので、郵便配達がアパートのインターホンを鳴らして「△〇×□・・・・(意味不明)」と言ったので「デルド ベルディーピン アシュトブリーフトゥ」(3階までお願いね)と、オウム返しに答えたので、相手は「メルシー」などとフランス語で答えていた。

 配達員がドアまで来たとき、「ソーリー イク スプレーク ベーチャ ネーデルランス」(僕オランダ語少ししか話せないからごめんね)と、あやまっておいたよ。相手は「フッードゥ」と答えたので、「それは良かった」と言ったのか「今のオランダ語は良かったよ」の意味だったのか、よーわからん。

 荷物6個受け取ったので、6か所にサインする枠があったのだが「Masayuki」と、筆記体でカッコよく書いたつもりだったが(しまった、さっきのはuが抜けていたな・・・)とか、思ったけど、知らんぷりして返してやった。

 まあいいか、サインとはそんなものだ。漢字でもひらがなでもいいんだよ、その人が書いたと言う事が分かれば・・・。

 ああ、テストどうしよう・・・。あきらめはついているんだけど、無様に散りたくはないなと思っているので、勉強しよう!ブログで戯れているどころじゃない。

やっと荷物が届いた!

 沖縄を出る時、9月5日に郵便局で、段ボール箱15個をベルギー向けに送った。一番早い航空便(SAL)は料金が高くて敬遠して、半額くらいで済む、一番安い船便で送った。それでも12万円くらいかかった。郵便局の係からは「4ヶ月くらいかかる場合もありますよ」と、念を押されていたが、他の情報では「一般的には船便で2か月」と、聞いていたので「構わないから船便でお願いします」と言った。
 それで待つこと、2か月と2日で届いた事になる(まあ、いい方かと思う)。

 PCのプリンターとか、ミニコンポ、映画を録画した200枚くらいのDVDなど、待ちかねていたので、「小包を届けます」と電話があった時は、スワッと喜んだのだが、郵便局員が届けたのは6個だけ。
あとは?と聞いても、「今はこれだけしか届いていません」と言う返事。

 まあ、ここで怒ってもしょうがない。遅れてでも届いてくれる事を信じるしかない。さて、ひとつひとつ開けてみる。いくつかの箱は、やっぱりどこかで開けられて、検閲を受けたようだ(開けられ閉め直されている)。コンポの本体は届いた、プリンターのインクは届いた、機織り機の小道具は届いた。しかし、コンポのスピーカーがない、プリンター本体がない、機織機の本体がない、DVDプレーヤーのリモコンがない、映画のDVDもない・・・・。ぜーーんぶ中途半端で使えないものばかり。

 冬物衣料などは入っていたので使えるが、なんてこったい!

 まさか、15個がバラバラに届くなんて予想もしなかったので、箱ごとに重量とか、クッション代わりに衣類を入れるとか、隙間にリモコンを入れるとかしたものだから、荷物はバラバラに入れてあったんだよねえ・・・・。

 箱から全部出して、片づけた後から「他の物は本当に届くんだろうか?」という不安が込み上げてきた。そのまま使えないままだったりして・・・。一番安い船便には保険もかけられなかったんだよねー。

8.11.08

久し振りに朝から快晴

 今日は撮影日和で休日だし、Katoは午前中「織物教室」へ行っているから、ひとり自由の身なので、朝食の後カメラを抱えてStadLier(リール市)散策。
 まず出くわしたのは、いつも通っているオランダ語学校周辺道路がすべて、封鎖され、土曜マーケットをやっていた。毎週土曜日のマーケット。いつもは市役所前の中心広場でやるのだが、広場は、どうやら今週も移動遊園地なので、臨時で開催場所変更している。
 毎週開かれているが、いつも買い物客はいっぱいだ。このマーケットも移動式でベルギー内で、曜日を変えて、あちこちの街で開かれている。

 今日は天気もいいし、時間もあるので、川の外側の道を歩いた。あの遊歩道は川を挟んで反対側である。車も通るが歩道はしっかり確保されている。
この通りも、やはり煉瓦の家の連続だ。駅へ向かう角の家はかなり古風で、黄色っぽい塗装がされているが、1階(こちらでは0階という)はケータリング・ピザ屋である。
 そんな川沿いの通りを歩いていると、路上駐車に真っ赤なスポーツカーを発見!と言うかこの車はいつも、そこに止まっている。小型のスマート・ロードスターだ。ベルギーではどこにでも路上駐車帯がある。便利だなあ、と思うが、実は有料で1時間1.5ユーロくらいである。近くのチケット自動販売機で必要時間分のチケットを買って、ウインドウの見えやすい所に置いておかないと、ひどい罰金を科される事になる。
 通り沿いに住んでいる人は、年間の許可をもらっている(もちろん有料だろう)ようで、許可証らしきものを窓に張り付けてある。
 さて、次に発見したのは、川沿いに、またまた野生のホップ。結構すごい量、鈴なりになっていた。近頃、ホップの実を発見するたびにワクワクするのである。実じゃなくて、毬花というらしいのだが・・・。
 以前、青いうちに収穫(拾って)してきた毬花はドライフラワー風になり、きれいな形で残っている。ハーブティーにして飲んでみたら、苦みと香りはしたが、もちろんビールの味じゃないよ。(ものの本によると薬用があるらしいので体にはいいかも)

 川沿いの道路はやがて、川から離れて、別の街の方角へ向かっていく。その後はまた、自転車と人の専用道路になり遊歩道である。
 今日は、川の水量の調節があったのか、水量がかなり増えていて、風景的にとてもきれいに見えた。絶好の写真日和だ。
 天気が良いので、人出も多く、日光浴がてらのんびり歩く老夫婦や、自転車でサイクリングの家族、スポーツサイクルで、レーサー服に身を包んで、颯爽と走る若者。カメラを抱えて歩くのは僕しかいなかったが。
 みんな、この自然を満喫しているようだ。ずっとどこかに水辺があるので、また「ガッハッハッハ」とカモが笑った。そして時々、カリヨンの音が聞こえる。
 こうしてみると、ここは街と人と車と自然が調和し、豊かな生活をしているなあと、つくづく感じるのである。

写真をもっと見たい方は、上の方にある写真のスライドショーをクリックして「Webアルバム」で、お楽しみください。

7.11.08

悲劇のサッカー選手の話

 珍しくサッカ-の話
 ベルギーでは、普通のTV番組は4チャンネルしかない。みんなどうしているかと言うとケーブルTV(有料)や衛星放送(有料)で、いろいろ見ているようだ。我が家はインターネット環境がどうしても必要だったので、そういった会社を探していると、ケーブルTV回線でインターネットとTV多チャンネルセット、それから携帯電話も基本料金無料がセットと言う事で、否応なく契約した。

 ケーブルTVにすると、これがまたチャンネルが多すぎて、何局あるか数えた事もない。FM/AMラジオ局も多数、覚えきれない局が多い中で、202チャンネルのEUROSPORTと203チャンネルのEUROSPORT2をよく見る。そこからネタをひとつ。

 サッカーはヨーロッパでは非常に人気がある。
 この間、フットサル(サッカーの縮小版?)の国際大会の準決勝で、イタリア対フランスをやっていた。後半の終了時間直前、得点は2-2で、誰もが引き分け、延長かと思った数秒間の出来事。イタリアがフランスゴールに攻め込んであわやゴール!しかし、直前で、フランスがクリア(そこまでは良かった)

 クリアしたボールが近くにいたフランス選手の膝にあたって、フランスゴールへ向かって跳ね返っていった、キーパーは飛び出していて、そこにいない。膝に当てたフランス選手は猛ダッシュして、ボールを追いかけ阻止しようとするが、ボールの方が速い。ボールは運よく、ゴールポストに当たって跳ね返ってきた。しかし、そのボールが猛ダッシュしていたそのフランス選手の足に、また当たって、今度は見事にゴーーール!!(自殺点だわね)

 ところがその瞬間の直前に時計は「0」になっていた。

 このゴールが有効か無効かで、20分位揉めに揉めて、審判団が協議している間に、何回もその瞬間のビデオを流すので、そのフランス選手はおそらく、翌日にはフランスで一番の有名人になったはずだ。

 その選手は悲劇のゴールを決めた直後から、頭を抱えてフェンスに寄りかかって座り、顔を上げる事が出来なかった。
(審判団協議の結果、結局ゴールは有効でフランスは負けて、イタリアが決勝進出)

 見ていて、とても滑稽であったが、選手本人の心情を察すると、あまりにも可哀そうであった。こんな悲劇の、踏んだり蹴ったりの選手を見た事がない。

 もうひとつサッカー(?)の話。
みなさん、サッカーの試合は、なぜ手を使ったらいけないか、知ってますか?
 そんな事、僕も知らないよ。
もし、サッカーでゴールキーパー以外も手を使っていいというルールになったら、どうなるか想像できますか?
 そんな事を実現した試合をEUROSPORTでやっていた。それがなんと言うスポーツか知らないが、たまたま、TVを付けたらやっていた。
 しかも国際試合で国対抗でやっていたので、まじめにやっていたのだろう。
サッカーボールとサッカーコート(会場)をを使うのだが、ボールが来たら手で拾ってバスケみたいにドリブルしてもいいし、持ったまま走ってもいいんだよ。
 それから味方へ、ラグビーみたいに、手から手へのパスもOK!もちろん足で蹴って遠くへのパスもOK。ゴール前まで来たら足で蹴ってゴールしていたなあ(そんなルールなのか)

 ラグビーのようで、そうでなし、サッカーのようで、そうでなし、バスケットボールのようで、そうでもなし、ハンドボールでもない。

 良く、まじめにそんなスポーツをするものだと半ば、あきれながらも、感心してみていた。上記の何か一つをまじめにやった方が良いんじゃないかなあと思った次第。

 SPORT専門局なのでいろんなことをやるもんだよ、スヌーカー(ビリヤード)とか長々とやっているし、番組の時間帯を守らないし、留守録をして、あとで楽しみにして再生すると、全然違うスポーツだったりするのが当たり前(それだけは止めてほしい)の専門局である。

 日本みたいに自動延長機能とか、自動変更機能は、うちのデジタルレコーダーには付いていない。

6.11.08

冷たい煉瓦の家(クヌック)

  冷たい煉瓦の家の話。
 先ほど、煉瓦の家の保温性を強調したのだが、舌の根も乾かないうちに、逆の話で申し訳ない。

 逆と言うわけでもないと思うのだが、先週の「バカンシー」の時に、本当はベルギーの海辺の避暑地、クヌック(knokke)へ泊りこみでブルージュ観光に行こうと思っていたのだが、当てにしていた知人の別荘(アパート)は「冬場は誰も住んでいないので、アパートの建物自体が冷え込んでいて、行ってすぐ泊まれるもんじゃない。部屋が暖まるまで1週間はかかる」なんて言われて、断念したのだった。

 「熱しやすく冷めやすい・熱しにくく冷めにくい」で言えば、煉瓦の家は後者の方だね。そこは夏場の観光地、アパートの造りとはいえ、全室別荘なので、定住者はいないわけだ。
 写真は2003年6月に行った時のモノ。クヌックはドーバー海峡を挟んで、対岸にイギリスがある海辺だ。砂浜にコンテナ風があるが「貸し倉庫」みたいで、そこにレジャー用品(パラソル、サマーベッド、浮き輪など)を保管して、遊びに来た時に開けて使う。その前は「自分専用砂浜」みたいになる。
 海岸と別荘アパート群の間が遊歩道で幅が10Mくらいあり、潮風に吹かれながら人々が散歩をする。


煉瓦の家

 寒い寒いと言いながら、今日の昼は天気が良くて、温かく感じた。学校から家に帰って、ベランダの温度計を見たら12℃っだった。ベルギーでは12℃でも暖かいと感じるくらい寒くなっていたのか?。

 ベルギーはビールの国であるが、煉瓦の国でもある。イタリアやフランスあたりは、石の家も良くあるが、ベルギーは煉瓦の家が圧倒的に多い。
 日本人がイメージするヨーロッパの田舎の家は「広い草原(牧場)や、畑の中にポツリ、ポツリ赤レンガに三角屋根の家がある」ではないだろうか。
 初めてベルギーに来た時は、空港まで車が迎えに来ていたので、家に向かう間にも、レンガ造りの三角屋根のオンパレードに目を見張り、感動したものだ。
 田舎に限らず、街でも好んでレンガを使っているのか、煉瓦以外で造ってはいけないのか疑問に思う位だった。
 それで、ベルギーの義兄に「煉瓦で家を造らないといけない法律でもあるのか」と、聞いてみたら「Yuki、ベルギー人は生まれる時に、煉瓦を抱いて生まれてくるんだよ」と答えたもんだ。
(お前は、ビールを飲まないといけない法律があるから、ビールを飲んでいるのか)と、言われているようで、「なるほどね」と、妙に納得した覚えがある。

 その答えは、長期滞在する事になった今回わかった!(今は一人で納得している段階だが)
 
 ベルギーに来てから「寒い、寒い」を連発しているが、外の気温が3度とか、5℃、最高気温が15℃とか表示されていて、外に出た時の体感で、そう言っているのであって。

 実は家の中は9月に初めて入った時から今まで、一貫してデジタル温度計は「20℃」を表示したまま動かないのだ。故障じゃないかと、窓の外へ出したら、グングン下がっていくので故障ではない。
 沖縄にいた時は、クーラーもつけずに、窓を開けっ放しの方が多かったので、温度計は面白いように上下していたのだが、ここでは、そんなことで面白がってはいられない問題なのだ。

 如何に温度を保つか、それが家造りの問題なのだ。壁は煉瓦にして厚くする。窓は最近はアルミサッシで2重ガラスで、枠もビシッと密閉できるようになっている。カーテンもレースと、かなりの厚手のカーテン2枚、夜の気温が下がる前に、厚手のカーテンを閉める。三角屋根も雪を積もらさないためと、天井に断熱空間を設けるためではないか。
 最近の煉瓦は耐熱、保温にいかにも優れていそうな、細かな空洞のあるブロック煉瓦のようなのが多く使われているようだ。(3番目の写真はオーストリアの友人宅)建築現場を見ると、鉄骨構造の煉瓦の家だったりもする。

 さて、ベルギーでは、いったいどれくらいの煉瓦を使うのだろう?
 そんな事を、僕が知るわけはないが、道にもレンガを使ったりするので、果てしないような気もするが、一方では17・8世紀の建物に住んでいる人もいるし(築50年100年は当たり前)、30年くらいで壊してしまう日本のコンクリート(住宅)より、消費量は少ないのかもしれない。

 道路の石畳やレンガの道は、工事があっても、また元通りに石と煉瓦は使えるから、日本のアルファルトと比べたら、ものすごく効率的ではないかなと思う、今日この頃だ。

 あ、ついでだから、2番目の写真説明をしておこう。左側と右の三角屋根3連続は、リール市の市庁舎である(これもかなり年代物を使っている)。ベルギー国旗がはためいていたりする、が、あたりに「○○市役所」と言う看板や案内板は見当たらない。
 EUの国はどこもそうで、お役所で、どこからも分かるような派手な看板を見た事がない。せいぜい国旗と州旗、市旗、EU連合旗が掲げられている位だ。「大体の場所が分かれば、それを見ればわかるだろう」みたいなものだ。ドアの前まで来たら、市役所の入り口であることが分かるようになっている。
 ちなみに、その三角屋根の形状が、ギザギザ「階段状」なのはベルギーのフランダース地方特有のものであるらしい。

5.11.08

今日の料理パエリア

 今日の夕食は、僕が作ったパエリアだ。
と言ったらカッコいいのだが、何しろ初めて挑戦したので「パエリア風」と言っておこう。
 なぜにパエリアか?パエリアじゃなくても良かったのだが、お米が食べたかった事と、前回、寿司を作るために買った米がタイ米で、寿司や、白ご飯で食べるには向かない事がわかったが、だいぶ残っていたので、使わなければいけなかった事。
 今日はオランダ語学校が休みで、Katoより僕の方が暇があったので、僕が夕飯担当になった。
 スーパーでパプリカ(赤ピーマン)と、シーフードミックスを買ってきて、インターネットで調べたレシピどおり作った。塩コショウとブイヨンだけ(サフランがなかった)の味付けで、意外にも(?)おいしかった。
 もともと調理経験はあるので、レシピを見れば大体は、それなりに出来るものだ。タイ米も、使い方を間違わなければ、おいしいお米であると見直す事になったので「タイ米さん、タイのみなさん、ごめんなさい」の一品でありました。
 お米を食べるのも先月の25日以来だから10日ぶりか。日本にいる日本人には、こんな生活、想像できないかもしれない。
 僕は日本にいる時(結婚して)から、慣らされていたからね。朝はパン、昼はジャガイモとお肉、夜はスープ(具だくさん)のみとか、ご飯もごく少量しか食べないとか。結構、何を食べても生きていける人間なのだ。

4.11.08

アパートの窓から4枚の写真

 今朝は霧っぽかったんだけど、昼から、すっかり晴れた。
 オランダ語学校へ通う道で、白い息を吐きながら、早足で歩いていると、落ち葉がひらひら落ちてくる。
 木の種類によっては、もうすっかり枝だけになってしまっている。
 学校の校庭にある木は枯れ葉と共に、種を付けた葉も、クルクルクルと、楽しそうに回転しながら落ちてくる。これ、落ちたのを見ると、羽つきの羽根のような形をしていて、あの重りのようなところが種で、絶妙なバランスをしているので、風が吹くと上の方へ舞い上がっていく。

 面白いので、2枚拾って、家に持ち帰り、ホップや栗の実、ドングリと共に「外からの収穫コレクション」に加えてある。
 で、今日の写真は、住んでいるアパートからの眺め。昨日も書いたように、中世の市壁のすぐそば、今は遊歩道と言う事で、木々の間から遊歩道が見える(上の写真)。
 早朝は、自転車のライトを付けて走る人、朝は通勤通学の徒歩や自転車の人、昼は老人たちの散歩と、犬に引かれて散歩する人。週末はジョギング愛好家、自転車好きの人たちが走っている。森林浴をしながら歩ける、とてもいい場所である。
 うちの部屋は、4階にあるので、見下ろす感じになっている。
 2枚目の写真は4階の高さと同じ位置の大木、葉が赤かったり黄色かったりしている。良く野鳥が来るので、それを眺めるのも楽しみのひとつ。日本でペットになっている文鳥(ブンチョウ)に似た鳥も来る。ハトくらいの大きさで、色が白黒の模様でシャチのような鳥も来る。そして小さな鳥で、カナリアのようなきれいな鳴き声の鳥、そんな楽しみをしていると、時々「ガッハッハッハ!」と大声で笑うように、住み着いている鴨が鳴く。これには、こちらも笑うしかない・・・。
 3枚目、アパート1階の住人は、野鳥のために、えさ場所を設置してくれている。ベルギーではこういうのが流行っているのか、日用雑貨店や大型スーパーなどで、犬、猫のペットコーナーと共に、野鳥のためのコーナーがあったりして、巣箱や、餌付け台、えさも、数種類ネットで包装して売っている。
 Katoもこれに習って、コーヒー皿にパンくずを入れてベランダに置いておくのだが、まだ、小鳥が訪ねてくるのを見た事がない。
 がんばって4番目の写真。
これは、アパートから駅や、僕の通う学校方向への道。道の角になっている家は、角を利用するように塔のように円形の部屋を造ってあり、なかなかおしゃれだなあと、いつも感心して眺める風景である。周辺の木も遊歩道の延長である。

3.11.08

リール市の歴史

 先日、リール市の図書館でリール市関係資料を見て(読めない)いたら写真や絵から、大体分かってきた。なんて、偉そうなことは言えないのだが、その他の日本語資料からしても市の造り(都市計画?)が分かる絵があった。

 インターネットで、google Earthや、地図などでベルギー・リール市の地形を見たらわかると思う。
 僕がいつも「お気に入りの散歩コース」と言っている、遊歩道は中世の頃、リール市が要塞都市だった頃の、市壁になっていた場所である。

 中世の戦国時代、近くを流れるネーテ川から治水して運河を引っ張り、市の周りにめぐらし、更に市壁を築いたのだ。
 資料の絵では市壁を挟んで、敵味方入り乱れて、戦っている様子が描かれている。
 平和になった近世では、市壁を取り壊し、遊歩道として市民の憩いの場となり、運河はそのまま残り、静かなたたずまいを見せるのに役立っている。

 だとしたら、僕の今住んでいるアパートは、市壁の内側で、すぐ隣に市壁があったことになる。んーーん、なるほどと思いながら、窓から見える木立を眺めているのである。
 その遊歩道をずっと歩くと、1時間くらいで元の場所に戻ってくるので、初心者にも安心だ。僕が自由に外出して散歩できるのも、この市壁跡の遊歩道のおかげである。
 そしてその中心に、現在も市役所があり、主要観光名所も集中しているから、リール市観光はコンパクトにまとめる事が出来る。

2.11.08

移動遊園地(リール市)

何かありそうだと言っていたイベント会場へ(今日は)行ってきた。

 こちらでは、各地を回って興行している移動遊園地「Kermis(ケルミス)」と、言う事であった。市役所前の中心広場(フロート・マルクト)と、その周辺まで利用しての、子供の遊び場がやってきたのだった。
 考えてみたら、リール市の周辺にそういった、子供がお金を使う遊び場がないから、時には親にせがんで、お金を使ってもらうのもいいかも知れない。子供にも親のありがたさがわかるってものだ。

 何をやっているかと言うと、移動式なので、やはりこじんまりとした中で趣向を凝らし、回転木馬や、ミニ・ジェットコースター風の乗り物とかゲーム(UFOキャッチャーに携帯電話が入っているのは初めて見た)。


 ちょっと日本と違うのは、ゲームで輪投げみたいなのはなく、ほとんどライフル銃で撃つものが多かった。

 景品は結構すごかったなあ、ビデオカメラとか、携帯電話、液晶TVなど、親が欲しそうなのも多かった。これはちょっと、親がはまりそうな雰囲気で、(子供をほっといて)危ないんでないかと思うくらいだ。


 お決まりのお化け屋敷やバーガーショップ、こちらの名物フリッツ(ポテトフライ)ショップもあった。

 まあ、リール市(stad Lier)もアントワープから近いとはいえ、田舎っぽいところもあるものだから、こういう華やかな遊び場が出来たとなると、親に「一生のお願い」とか手を合わせても行きたくなる気持ちになるのだろう。

 親に手を引かれた子供たちが、無邪気に楽しんでいるのを見ると、こちらも和やかな気持ちにさせられていいものだ。


 昨日は、夜の8時前に、若者から中年まで、大勢の人が夜道を一方向に歩いているので、何事かしらと思っていたら、近くのサッカースタジアムで、サッカーの試合があったらしく、僕らは、たまたま近くを車で通りかかったので、周辺のカフェなどからも、続々と人が出て来て、そこへ向かって歩いて行くのを見たのである。行く先にはサッカースタジアムの照明が煌々と輝いていた。 

1.11.08

万聖節の日

 今日は、万聖節(キリスト教関係の諸聖人の日)といって。普通なら会社も休みなのだが、今日は土曜日で、元々の休日だった(振り替え休日はないようだ)。

 この日は、ベルギーではお墓参りをして、お墓の掃除をしたり、菊の花を飾ったり、ロウソクを点したりするので、夕方には幻想的な光景になるらしいのだが、あいにく今日は朝から雨で、墓地の見学には行かなかった。Katoの家族では今年は行かないようだった。
 そのかわり、今日が誕生日の父親に会いに行くことにした。道の途中にある花屋さんで、プレゼントの花束を買ったが、花屋さんは今日は稼ぎ時。店中に菊の花のアレンジや、花束、そしてお墓で使うローソクも取りそろえてあり、忙しそうであった。菊の花を求めて、お客さんも多く訪れていた。
 道から見える教会近くの墓地には確かに、多くの人が入っていた。墓地には普段、人の姿はあまり見られないんだけどね。墓地にはベルギー国旗が掲げられている所もあった。
 ハロウィンらしい行事にはついに出あう事はなかった。期待した人には申し訳ないので、2005年にルクセンブルグへ行った時に撮った民家の玄関先を紹介しておこう。
 こちらのスーパーでは、ハロウィンが近づくと野菜売り場で、ハロウィンで使うであろう、黄色い(オレンジ色?)大きなカボチャが、目立つところに飾られ、また、小さい飾り用の変わりカボチャも何個かセットで販売されている。この飾り、ハロウィン終わったらどうするんだろうね?