3.2.16

オランダ語学校再開!

前期(11月~1月)の3ヶ月間休んでいた「オランダ語学校」通いを、2月1日から再開した。
オランダ語学校は7-8月の休暇を除いて、約8週間単位の4期に分けられ、それぞれの期末のテストで合格すれば次の単位へ進めるというシステムになっている。

最初の1歩はレベル1.1、次は1.2 - 2.1 - 2.2 ・・・ と続いて行く。 僕は前回2.2で際どく合格していたのだが、自分で納得がいかないので、今回も再度2.2のクラスへ通う事にした。

ベルギーでは移民の同化政策で、その地域の母国語である「オランダ語」を習得する授業は無料で受けられることになっているので、教科書だけ買えば、あとは無料である。
(ベルギー人が他の言語を習う時は有料)

僕らのキャンパスの前、古井戸のポンプの塔があり、その近くに門が開いている ・・・ まぁ、何十年前からあるか知らないが、とても古い校舎で、暖房は効いたり効かなかったりで、寒がりの人はジャンパーを着たまま授業を受けたりしている(笑)

学校の近くにある聖グマルス教会。

学校ではオランダ語を習う訳だから、生徒はオランダ語圏であるこの地元の人はいない(もちろんだね)
今回のクラスメートはちょっと少な目 ・・・ ま、来たり来なかったりもあるので正確な数字はつかめない ・・・ 大体11名~14名の間くらいか。
ポルトガル人、ハンガリー人、アフガニスタン人、モロッコ人、ルワンダ人、フィリピン人、中国人(ほか、国名も聞いた事もないような人もいる) ・・・ そんな中に沖縄人が1人いるわけで、日本語が通じる世界ではない。

と、思っていたら、中国人の女性2人が休憩時間に僕に寄ってきて、オランダ語で 「Bent jij Japanner?(あなたは日本人ですか)」 と聞くので 「そうだよ、なんじゃらほい」 とオランダ語で答えたら 「おはよございます」 と、1人は日本語を口にした ・・・ 40歳くらいの女性だが 「少し日本語が出来ます」 と言うのだ。

で、もう1人は30歳くらいの若い?女性で、北京でオランダ人男性と知り合い、今はその人とベルギーに住んでいるという。

しばし日本の事で会話が盛り上がり、日本語が少しできる人は日本語で話したがるし、もう1人は日本語が出来ないので、少しのオランダ語と英語をミックスしながら話していた ・・・ 「日本が大好きです」「温泉、京都の工芸品も好きです」 という事だった。

僕は「いま日本のどこに行っても中国人の旅行者がたくさんいて、たくさんの買い物をしていますよ」 と言うと、「そうなんです、日本の製品はとてもいいものだから、中国ではとても高いです。私の友達は日本でDHCの口紅を50本も買ってきていました」 なんて話までして ・・・

授業が終わって、家路につくとき日本語の出来る中国人と同じ道だったので、また少し話をした 「私の昔の愛人(多分、恋人)は日本人でした」 といい 「日本語を6ヶ月間習いました」と

僕は「あなたは日本に住んだことがあるのですか」と聞いたら、「私はマレーシアに住んでいました。マレーシアの中国人です」 という。

なるほど ・・・ わかったようでわからない(笑)

聖ピータースチャペル(Sint-Pieterskapel)

まぁ、そんな調子で、今回も楽しくなりそうなオランダ語学校です。

聖グマルス教会

登校時は雨がちらついていたが、下校時は青空が見えたので、ちょっとだけ回り道をして市内散策。

生木の幹に生えていたキノコ ・・・ おいしそう! なんだけど、キノコには詳しくないので、写真に撮るだけにしておいた。

帰宅したら、Katrienとクマ太郎がいなくて、Momoちゃんだけが残されていたので、すぐに散歩に連れ出す ・・・ 天気がいいので、昼食は後回し!

太陽光があるうちに、光を浴びておかなければ ・・・ そんな、貴重な太陽光なのです。

Momoちゃん、クマ太郎といっしょでなければ、気ままに楽しそうだ!

くつろぎ ・・・


適度に運動もできる ・・・

昼食は夕べ支度しておいた、鶏肉のブイヨンスープとご飯 ・・・ オランダ語学校に通っている間は、時間がないので「作り置き」の出来るものに限られてくる。

夜は、これも近頃開発した「手作りハンバーグ」

開発と言うのは大げさだが、クックパッドなどでレシピを探して、初めて作ってみてうまくいったものを「開発」と呼んでいるのである。

今回2回目だが、初回に続きうまくいったので、新たに「わが家のローテ入り」したものだ。

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