今日(4日)はメッヘレンに行ってきた ・・・ 久々の一人歩き!
16世紀の初め、マルガレータ妃の統治によりネーデルラント(ベルギー+オランダ)の首都として隆盛を極めた町 ・・・ 神聖ローマ帝国、皇帝カール5世もこの町でマルガレータ妃に養育され、帝王学を授かったというから、歴史的に非常に重要な役割を果たした町だ。
町の中心部を流れるダイル川に架かる橋の下を遊歩道が通っている ・・・ そんなところも歩いてみる。
石橋の多い旧市街だが、ここにメタリックな橋がある。
この橋の名は「Beethovenbrug」(ベートーベン橋)という ・・・
橋のたもとに一対の像がある。
子供がお年寄りに向き合い、背中に花を一輪隠し持っている構図だ。
少年の名はルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)・・・ ベートーベンといえば、あのムツかしい顔をした肖像画を思い浮かべるが、もちろん少年時代もあったわけで ・・・
向かいあって建つ大人の像は、見る人にも威圧感を与えるルードヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)大作曲家ベートーベンの祖父である。
祖父はメッヘレンに生まれ、歌手として成功し、ドイツのボンで宮廷音楽の楽長にまでなった才能ある人物だった。
フラマン語では Lodewijk van Beethoven ドイツのボンに移住してからドイツ語読みの Ludwig になったようである ・・・ ルードヴィヒ少年の父も音楽家だったが、あまり出来が良くなく、少年は祖父を慕っていたようである。
向かい合って建つこの像はおそらく、メッヘレンの祖父ベートーベンから、その才能を孫のベートーベンに受け継がせるといった構図ではないだろうか ・・・ 少年は背中に花を1輪、隠し持っている。
その背景にある建物は Lamot醸造所 ・・・ その右側の小道が 「ベートーベン通り」(Van Beethovenstraat)となっている。
像の下に碑文がある 「Lodewijk van Beethoven 1712年Mechelenに生まれ、1773年Bonnで没す」 もうひとつには 「Ludwig van Beethoven 1770年Bonnに生まれ、1827年Wenenで没す」 ・・・ と、いうことは祖父は孫が3歳の時に亡くなったわけだね。
それでまたベートーベン橋を渡り、街を歩く ・・・ 小道から覗く、聖ロンバウツ大聖堂の鐘楼。
大聖堂から少し離れたところに、小ぶりなカテレイン教会「Katelijnekerk」があり、祖父ベートーベンが洗礼を受けた教会である ・・・ ということはこの近くに住んでいたということだろうね。
(その界隈にある Kanunnik de Deckerstraat に住んでいた)
小ぶりながらも重厚感のある内部。
説教台の下の木彫りの像。
「ルルドの洞窟のマリア像」 もある。
教会のドア ・・・
Mechelen は歴史的な7つの教会のOpenキャンペーンをしていて、誰でも自由に入れる(13:00- 17:00)僕は全てに入ってみた。
ただいま、イースター休暇の最中で街のあちこちに「イースターエッグ」が飾られている ・・・ この教会の広場にも ・・・
そして、各家庭の玄関ドアにはリースが飾られる ・・・ 簡単なものだったり、凝ったものもあるが・・・
ま、でも、僕にとってメッヘレンといえば Het Anker醸造所の直営カフェで生ビールを飲むことだよ ・・・ 結局そこに行き着くのだ。
メッヘレンは昔から酒飲みが多いことで知られている ・・・ ま、おいしい酒(ビール)を造る醸造所があったからだろうと想像するのだが、それがここかもしれない。
ベートーベンの祖父の妻はアルコール依存症になり、修道院送りになった ・・・ 父親ヨハンも大酒飲みの酒乱になっていたようだ。
ビールの話は後でするとして、今日は意外な真実「Mechelenとベートーベンのつながり」 でござった。
2 件のコメント:
ベートーベンのおじいちゃんがメヘレン出身とは知りませんでした。なんかベートーベンが身近になったような気がします。
メヘレンはビールだけじゃなく白アスパラガス、チキンも有名ですよ。
Toshiko
Toshikoさん、そうですよね、名前からしてフランドル風だもの Beethoven という苗字は身近な人では聞いたことはないが van の付く苗字はたくさんありますね。
ベートーベンの祖父がメッヘレン出身ということは知っていましたが、この像は最近できたんですよ!
2-3年前はなかった。
白アスパラ? 産地であるらしいことは知っているんですが、わざわざ買い付けにはいきませんよ・・・今年の現地産はいつごろ出るんでしょうかね。
コメントを投稿