誕生日を1週間早めた、妻(kato)の父親の誕生祝い81歳の祝いをした。両親は子供が3名いて、孫4名。すでにみんなパートナーがいるから、その倍数(14名)。そしてひ孫2名、両親の友人のマリアばあさんも招待されて、総勢17名で老人ホームの個室でパーティを開いた。
僕は家で、朝からご飯を炊いて(電気調理器でお鍋で炊くのは難しい)、すし酢で酢飯を作たが、案外うまく出来た。
第一回目の試作をした時は、タイ米を使ったので、パサパサですし酢をふりかけ、混ぜてから握るとスポンジのように跳ね返って戻るものだから、話にならなかった。「タイ米は料理米と心得るべし」と初めて悟った、実地経験であった。
ネタを作る。
まず、ボイルエビはサラダ用に売っているエビに、そのまま包丁で切れ込みをいれ、平たく伸ばして完了。シャケの代わりのスモークサーモンを斜めにやや厚めに切って完了。厚焼き卵で困った、砂糖がないので沖縄から持ってきた粉黒糖で代用したら、やはり色が付き、クッキー風の厚焼き卵が出来た。
巻寿司は、きゅうりとカニ風味かまぼこを入れて作った。
さて、酢飯、ネタ、巻寿司、醤油、わさび、ガリ、焼き海苔を箱に詰めて、それを抱えて老人ホームへGO!(途中リール市内のレストランで、名物ウナギ料理を購入)
会場へ着くと、すでに他は全員集合して、アペリティフが始まっていた。みんなに挨拶をして、ビールを手にする。こちらでは、いっぺんに大声で挨拶するのではなく、ひとりひとり、男性には握手をして、女性には頬と頬を合わせて(キスと言う)「Hoe is't? フー、イスト(ご機嫌いかが?)」「Heel goet!ヘール フッド(元気だよ)En met jou?エン メット ヤゥ?(きみは?)」と、あいさつするので時間がかかる。ちなみに別れる時も、同じように「また、今度ね、バイバイ」と一人ずつやるので時間がかかる。
ビールをふた口ほど口に付けると、さっそく寿司を作ってほしいと催促があった。
キッチンで作り始めると、みんな集まってきて、寿司を握る僕の手つきを、珍しそうに眺めていた。シャリは小さめに、一口で収まるように気を付ける(手で食べる事に慣れていないので、つまんですぐ口に放り込めるように)。焼き海苔を小さく(名刺の縦半分くらいに)切って、皿に添え、海苔で巻いてつまむようにした(手もベタベタ汚さないようにね)。
玉子以外はすべてにワサビを入れた。軍艦にはイクラのみ。
甥のヒェールト君が、自宅庭から竹の葉を持ってきてくれたので、皿に敷いてから盛り付けて雰囲気を出した。
狭い部屋で立食式(座る人もいるが)なので、皿をもって回って、取ってもらったので、僕は写真を撮る暇もなかった。写真を掲載できないのは残念だが。みんな、ワサビに顔をしかめながらも「レカル、ヘール レカル(おいしい とてもおいしい)」などと喜んでくれた。ああ、まずは一安心。
慣れない事はするものではないと言うが、今回は良かった。
その後メインのウナギだ。こちらのウナギ料理は、あんかけスープ風で様々なスパイスが入り、ウナギも柔らかく、骨も少なく、美味しかった(これもナイフとフォークで食べるのだ)。父がリール市に住んでいた頃の、行きつけのウナギの美味しいレストランからと言う父のリクエストだった。
食事の間も、それぞれワインを飲んだり、ビールを飲んだり、アルコールが駄目な人は水かコーヒーで、おしゃべりでわいわい楽しんでいた。
この日のために父は1966年産の赤ワインを、自分のストックから出してくれた。
48年前のワイン?よく中身が残っていたものだ!沖縄の古酒作りと似ているかも知れないが、こちらでは、長く置ける赤ワインを選んで、買い置きし、長期保存しておくと、稀に大化けして、絶品のワインになる事があるらしい。そのための投資として、年ごとに保存する方が結構いるらしいのだ。ちなみにその48年物ワインはと言うと、まあ、そこそこくらいだったのだろう。あまり話題に上らなかった。そういえば僕らが結婚した時も、父は娘の誕生年のワインを出してくれたものだ。
主賓の父は、マイペースを崩さず、ベッドに横になって寝ては、起きだしてきたり、気ままだ。母は、車椅子ではあるが元気で、ずっとしゃべり続けて、みんなの笑いを誘っていた。
午後1時から始まったこのパーティー、僕らが帰ったのが22:30頃だった。
まあ、大体、こちらのパーティーは半日がかりだ、僕はビールを何本飲んだ事やら・・・。
夜中の帰り道、道端の気温表示の電光掲示板では8℃を表示していた。
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