オーストリア人の友人夫妻から郵便物が届いた。
友人とは言え、古い友人でもなく、年に2-3度のメールのやり取りをするくらいだが、非常に律義なご夫妻で、僕らが沖縄に住んでいた時に知り合った。
彼らについて少し書いてみたい。2006年冬の沖縄、僕とKatrienは沖縄本島北部の屋我地島キャンプ場で釣り&キャンプをするため、その駐車場に着いて、利用料金を払うため売店で用事をしていると、隣で大柄な外国人男性が、沖縄の地元新聞を開いて読んでいた。
明らかな外国人だが、日本語の新聞を読むとは感心だ・・・・、と思いながら、その時は、そのまま去ってキャンプのテント設営をして、僕は魚釣りを始めた。
しばらくすると、さっきの大柄な外国人男性が女性を伴って、Katrienの所に来て英語で「明日の天気はどうなるか分かりませんか?」と聞いてきたのである。
「先程は、あのお店の人に聞いてみたが英語が通じなくて、新聞も読めなくて困っていました」「私達は夫婦でオーストリアから来て、自転車で沖縄本島を一周して、その後は九州まで行きます」
とか何とか話をしていて、僕が釣りから帰って来るまでには、彼らは自分のテントに戻っていた。
僕はKatrienからその話を聞いて、「へぇー、面白い人たちだね、ここに呼んで一緒にバーベキューしようよ」と提案して、彼らのテントまで行って誘ったら、喜んでご一緒する事になった。
女性のパトリシアはアメリカ人で、オーストリア人のワーテルと結婚して、ふたりでオーストリアに住んでいると言い、旅行が好きで特に何処でも自転車で行くとの事、いつも身軽な格好(軽い荷物)で、年に3カ月くらいバカンスで外国を旅していると言う。
(上の写真は、初対面の時のじゃなく2回目の沖縄キャンプだが、初回も全く同じようにキャンプ&バーベキューをした。)
話が弾んで、ビールもつまみも足りなくなったので、僕は売店へ買い物しに行った。
売店で、「いや、さっきの外人さん達と友達になってね、今、一緒にバーベキューをしているんですよ!」 と言うと
売店のおばさんは「それは良かった、さっきは何か言われたんだけど、全く意味が分からなくて困っていたのよ」と、安心した表情になり、奥の方へ下がってから戻って来て「良かったら、これを一緒に食べてください」と、この地域特産のクルマエビのパックを手渡してくれた。
ん――、世の中捨てたもんじゃない、いい人はいるものだ!
それでその夜は、彼らの世界旅行の話など、本当に楽しい宴を過ごして、彼らも満足してくれたようで、夜も遅くなってから別れた。
翌朝、彼らは早く旅立ったようで、僕らのテントに書置きの紙を置いて、そっとキャンプ場を後にしていた。
「昨日は親切にしてくれてありがとう、是非オーストリアにも遊びに来てください!」と、メールアドレスも書きとめてくれていた。その時から1年半後の夏、今度は僕らが彼らにならって「欧州の旅」をする事になって、イタリアからオーストリア、ドイツを周ってからKatrienの実家に帰るというルートを取ったのである。
もちろんオーストリアへ寄るのは、彼ら夫婦に会うためである。
ワーテル&パトリシアが駅まで迎えに来てくれて、彼らの家に着くと、すでに食事が準備されていて、なんと!巻き寿司が作られていて、醤油もちゃんとあった。そして、もちろんビールも!
日本びいきの彼ららしい。 オーストリアのローゼンタール地方は、スロベニアとイタリアの国境に近い場所、川の流れがあり、山脈があり風光明美な場所。
やはり彼ららしく、自転車で案内してくれた。
小さな小川を大きなマスのような魚が泳いでいたり、湖で水浴をしたり、十分楽しませてくれた。そして、夜は、ちょうどとなり村の祭りの日で、僕らも連れて行ってもらい、大きなキャンプファイヤーを囲んで、バーベキューを食べたり、ビールを飲んだり・・・。
本当に「村の祭り」で、観光客はいない模様、ワーテルが「多分この祭りに日本人が参加したのは、あなたが初めてですよ!」と言った。
オーストリアの山村の祭りだが、なぜか「アメリカン・カントリーミュージック祭り」だった。
参加者は、カウボーイハットを被り、ジーンズ姿で参加する。何かしら古きアメリカンの香りがしなくていはいけないようだ。ダンスタイムになると、アメリカ出身のパトリシアが指導したと言う、ステップダンスをみんなで踊っていた。
オーストリアの田舎村、ドイツ語を話しているが、彼らの家の近所の子供たちは英語を話せなかった。
そして12歳になったら自分の将来を決めなくてはならないらしく、女の子は「親の後を継いで牛の世話(農業)をする」のだと決めていると言う事だった。
12歳と言えば小学校6年生くらいじゃないか?
厳しいですねぇ・・・。
2泊3日、この近所かいわいを歩いたりしていたので、子供たちも顔なじみになり、帰る日になると。小学生の男の子が僕に抱きついて、別れを惜しんでくれた。
パトリシアによると、「この子ははにかみ屋で、普段こんな事はしないんだけどねぇ」と言っていた。
よほど気に入られたか・・・僕。
オーストリアの再会から、さらに半年後、2008年3月。
彼ら夫婦は、また沖縄に来た! 彼らは自転車で、僕らは車で付いて行き、沖縄の北部の「やんばる路」を行く。
よほど沖縄が気に入っているのです。
彼らは「観光地化している場所には興味がない」と言います。
だから自転車で、観光客が行かない所へ行くのが好きなのです。
九州・四国などは回ったようで、田舎の方で子供たちに(英語で) 声掛けたりすると、その反応が面白いらしい。
また、日本はコンビニが発達していて、トイレにも、食べるものにも全然困らないらしいのです。確かにそうだ。
今回は、僕らの友人夫妻(アメリカ人&日本人)も紹介して、海岸で1泊した(上の1-2枚目の写真)後、山奥のキャンプ場でも1泊、一緒に楽しんだ。
世界は広しと言えど、こうも簡単に行き来出来るんですね、
オーストリアの彼らは、きまって冬に沖縄に来ているようです。
沖縄の後九州などへ行き、その後はカリフォルニアへ渡って、2カ月くらい過ごしてからオーストリアに戻るんだとか・・・・。
何とも遊び方のスケールが違う!
そう、彼らは今年2010年3月にも沖縄に行ったようで、東村のつつじ園にも行った模様。
それで今回は、何処で見物したか知らないが、沖縄のバンド「ディアマンテス」の野外ライブを8曲もDVDに収めて送ってくれたのだ!
沖縄にいる時からディアマンテスは好きではあったが、CDを買った事がなかった。ベルギーに住んでいて、ふいにオーストリアからライブ映像が送られてくるなんて、びっくりである。
僕にとっては懐かしい曲でしたが、彼らにとってはラテンのリズムが好きになったのでしょう、お気に入りの様です。
「またいつでも遊びにおいで!」と言う事なんですが、いくら欧州圏内とはいっても、そう簡単には行けませぬ!
しかし、彼らの住んでいるローゼンタール地方はとてもいい所でした。
すぐには行けぬが、いつかまた行こうと思う!
2 件のコメント:
オーストリアの友人ってこの方たちやったんやね!素敵なご夫婦!次回オーストリア行きの際は、ぜひスイスにも・・!
のこのこさんが住んでいる、ジュネーブの反対側の国境がオーストリアの様ですねぇ・・・。
電車での旅も結構楽しかったですよ!
スイスはまだ未知の国です。
いつか行きますよ!
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