今回は花の都ゲント!
とは言っても、この時期には花はほとんど見えない。
11世紀にフランドル伯から「自由都市」の権利を受けてから、繊維産業で大いに繁栄し、13世紀から14世紀にかけては北ヨーロッパの重要な交易都市となった。
現在のゲントには、その頃の繁栄を偲ばせる建造物がたくさん残っていて、それを眺めながら歩くのが楽しい。
花はどこへ行った~
ゲントの花は去年、5年に1度の祭典「フロラリア ゲント 2016」を堪能したので、そちらの記事を参照してください。
同じ日の「ゲントで街歩き~ぶらり」という記事も書いているので、併せて読んでいただければ幸いです。
と、過去の記事を紹介して、それを皆さんが読んだら今日の記事は読まなくても分かるってくらいになるので楽だ(笑)
聖ミハエル橋という石橋。
レイエ川のコーレンレイからグラスレイのギルドハウス群を見る。
壮大なギルドハウスを見るとやはり、中世の繁栄ぶりが判るね。
大肉市場(Grote Vleeshuis)の川沿いを始めて歩いてみた ・・・ 簡単に行ける場所なのに、他にも見どころがたくさんあるので、つい見落としていた静かな散歩道だった。
フランドル伯の居城
規模は小さいと思うが、外周が強固な石積みの壁で囲われている ・・・ 12世紀に築城されたが14世紀からは要塞の機能はなく、様々な施設として利用されてきた。
現在は観光施設として見学が可能となっている ・・・ が、僕は入ったことがない。
お城から、さらにはずれの方へ歩き、ちょっと行きたい場所があった。
去年も訪ねた「フォルクローレ(Folklore)」という庶民カフェ。観光客は入らないであろう、地元民のカフェ ・・・ 日本のNHK番組の「世界、入りにくい居酒屋 ベルギー編」で、この店が紹介されたという情報を元に、去年、ブルージュの飲み友Aさんと探検に来た店だ。
「なんだ、入りやすい、フレンドリーな、いい店じゃないか!」 と、いうのが二人の感想だった(笑)
という事で、ステラアルトワを1杯!
テーブルの上には生の花が活けられていた。
ふらっと歩いていて、横道に古びた建物にビールの看板がいくつか掛けられた「店らしきもの」を発見!
近寄ってみたが、店内は見えず、店の前に出ているボードには何も書いてないし、窓に貼られたビールの値段は4EUR以上 ・・・ う~ん、ちょっとな~
これこそ 「入りにくい店」 だ!
もちろん入らなかったよ。
古い建物2軒(Kraanlei)
レイエ川、左岸に赤い大砲、dulle griet が見える。
狂女グリート(デュル・グリート dulle griet)
ヨーロッパでは大砲が作られると女性の名前を付けたらしい。
金曜市場(Vrijdagmarkt)ではマーケットが開かれていた(土曜日なのに)
隣の聖ヤコブ教会の周りでは土曜日の蚤の市が開かれるので、そこからの連続でここまで来ているのかも ・・・
屋台でリエージュのワッフルを買って食べたが、写真を撮っていない ・・・ 楕円形で厚みがあって、もちっとしてて、ネチャッとしたシロップが掛かっている ・・・ 僕はブリュッセルの四角いワッフルより、こちらの方が好きだね。
ゲント市庁舎と鐘楼
鐘楼の脇についている建物のレリーフ。
「老人に授乳する婦人」
物語があるがここでは書くまい(過去記事参照)
と、ここまで来たところで「ひとり歩き~ぶらり」終了!
実はこの日、アントワープの「日本語を話そう会」メンバーによる「ゲント・ピクニック」の日だったのだ(笑)
午後2時からは、どこかで飯を食っていた他のメンバーたちと合流し、ゲント観光 ・・・ って、25名以上の参加者がいるというので、そんな大所帯でぞろぞろと云うのも大変だから、2グループに分かれて歩く事になった。
僕のグループも12名くらいでスタートしたが、すぐそこに鐘楼があって 「登りたい!」 という人が多数いて 「どうぞ、気にしないでゲントの眺めを楽しんできてください」 と、送り出し ・・・ 残ったのは4名だけだった(笑)
楽ちん楽ちん!
ゲント在住歴の長いリコさんと、僕がこのグループのリーダーという事で指名されたので、まとめるのは大変だなぁ~、と思っていたところだった(笑)
大肉市場に寄り添う、絞首台という名のカフェ「Galgenhuis」
ゲントに新名所誕生か?
小便小僧でもないが、おちんちんを出している少年が人気になり、裸の少女2人も追加されたという ・・・ Nestor というレストランの玄関の上にあり。
先ほど一人で来た、フランドル伯の居城の前を走る馬車。
旧魚市場入り口のファサード。
「戴冠の頭(De Gekroonde Hoofden)」という名のレストランがあり、ファサードにはカール5世の頭もある。
ゲント在住リコさんに 「僕はカール5世の像を見てみたい」と、希望を出していたので、そこへ向かっていた。(像はこれではない)
そのレストランのわき道を入って行く。
しばらく歩くとプリンセンホフ(Prinsenhof)という通りになり、間もなく見えるのが
赤いポスト(現役で使われている)
そして、小さな広場(Zilverhof)があり、そこに建っているのが
神聖ローマ帝国皇帝カール5世!
(Standbeeld Keizer Karl)
カールは1500年、フィリップ美公とファナの子として、ゲントのこの界隈で生まれたという事である。
僕は、いろいろとカール5世にまつわる事に興味があって、気に留めているのだけど、そのきっかけは、カールの両親は、僕の住んでいるリール市の聖グマルス教会で1496年10月20日に結婚式を挙げていたという事を知ったからだ。
それ以降、なにかとカール5世という名が引っかかるようになったのだった。
仕事の用事で出向くメッヘレンは16世紀ネーデルランド17州の首都であり、その総督はマルガレータ妃で、カールの父親の妹(叔母)であった。
カールの少年時代は叔母にあたるマルガレータに預けられ、養育されていたというから、僕が仕事で行くマルガレータの宮殿で育てられ、そこで遊んでいたのか?
そんな事に思いを巡らせると、神聖ローマ帝国皇帝カール5世が他人とは思えないのだ(笑)
しかし、カール5世とゲント市民の関係は良くなかったようだ。
当時、繫栄していたゲントだったが、皇帝になったカール5世は戦争を繰り返し、戦費を賄うためにゲントに重税を課したという。
重税に抵抗して拒否した者には罰として、苦行僧の薄い衣服をまとわせ、首に縛り首のロープを巻き付け、裸足で町を歩かせたという。
もちろん、そんな軽い刑ばかりではなかっただろうが。
カール5世の像の、近くの別の広場にその銅像(Stroppendrager)があった。
僕はこれまで、何度もゲントを歩いているが、今回は今まで来た事のないエリアを歩いた事になる。
水門小屋、Rabot 別名は3つの塔(Drie Toorekens)
カール5世を見てきたので「KEIZER KAREL(カール皇帝)」(生)を飲む。
続いて、Tongerlo (生)
ここで、別れて行動していたメンバーと合流する。
しかし 「フランドル伯の居城の内部を見てみたい」という人が何人もいて、またも別れる事になった(笑)
僕らは4人で歩く ・・・ ゲントのお菓子売り。
砂糖菓子なのでとても甘いCuberdons 、キュベルドンと言ってもインパクトはないが別名の Gentse neus 「ゲントの鼻」なら、誰でも覚えてくれるだろう(笑)・・・ 円錐形の形をしている。
ハスキー君、ここで何してるの?
僕らはこの後、何処へ行ったのだろう ・・・ あまりにも多くの場所を訪ねたので、撮ってきた写真を順序良く見ないと思い出せない(笑)
続きは次回に!
おもしろかったら ・・・ こちら→
金曜市場(Vrijdagmarkt)ではマーケットが開かれていた(土曜日なのに)
隣の聖ヤコブ教会の周りでは土曜日の蚤の市が開かれるので、そこからの連続でここまで来ているのかも ・・・
屋台でリエージュのワッフルを買って食べたが、写真を撮っていない ・・・ 楕円形で厚みがあって、もちっとしてて、ネチャッとしたシロップが掛かっている ・・・ 僕はブリュッセルの四角いワッフルより、こちらの方が好きだね。
ゲント市庁舎と鐘楼
鐘楼の脇についている建物のレリーフ。
「老人に授乳する婦人」
物語があるがここでは書くまい(過去記事参照)
と、ここまで来たところで「ひとり歩き~ぶらり」終了!
実はこの日、アントワープの「日本語を話そう会」メンバーによる「ゲント・ピクニック」の日だったのだ(笑)
午後2時からは、どこかで飯を食っていた他のメンバーたちと合流し、ゲント観光 ・・・ って、25名以上の参加者がいるというので、そんな大所帯でぞろぞろと云うのも大変だから、2グループに分かれて歩く事になった。
僕のグループも12名くらいでスタートしたが、すぐそこに鐘楼があって 「登りたい!」 という人が多数いて 「どうぞ、気にしないでゲントの眺めを楽しんできてください」 と、送り出し ・・・ 残ったのは4名だけだった(笑)
楽ちん楽ちん!
ゲント在住歴の長いリコさんと、僕がこのグループのリーダーという事で指名されたので、まとめるのは大変だなぁ~、と思っていたところだった(笑)
大肉市場に寄り添う、絞首台という名のカフェ「Galgenhuis」
ゲントに新名所誕生か?
小便小僧でもないが、おちんちんを出している少年が人気になり、裸の少女2人も追加されたという ・・・ Nestor というレストランの玄関の上にあり。
先ほど一人で来た、フランドル伯の居城の前を走る馬車。
ゲント在住リコさんに 「僕はカール5世の像を見てみたい」と、希望を出していたので、そこへ向かっていた。(像はこれではない)
そのレストランのわき道を入って行く。
しばらく歩くとプリンセンホフ(Prinsenhof)という通りになり、間もなく見えるのが
赤いポスト(現役で使われている)
そして、小さな広場(Zilverhof)があり、そこに建っているのが
神聖ローマ帝国皇帝カール5世!
(Standbeeld Keizer Karl)
カールは1500年、フィリップ美公とファナの子として、ゲントのこの界隈で生まれたという事である。
僕は、いろいろとカール5世にまつわる事に興味があって、気に留めているのだけど、そのきっかけは、カールの両親は、僕の住んでいるリール市の聖グマルス教会で1496年10月20日に結婚式を挙げていたという事を知ったからだ。
それ以降、なにかとカール5世という名が引っかかるようになったのだった。
仕事の用事で出向くメッヘレンは16世紀ネーデルランド17州の首都であり、その総督はマルガレータ妃で、カールの父親の妹(叔母)であった。
カールの少年時代は叔母にあたるマルガレータに預けられ、養育されていたというから、僕が仕事で行くマルガレータの宮殿で育てられ、そこで遊んでいたのか?
そんな事に思いを巡らせると、神聖ローマ帝国皇帝カール5世が他人とは思えないのだ(笑)
しかし、カール5世とゲント市民の関係は良くなかったようだ。
当時、繫栄していたゲントだったが、皇帝になったカール5世は戦争を繰り返し、戦費を賄うためにゲントに重税を課したという。
重税に抵抗して拒否した者には罰として、苦行僧の薄い衣服をまとわせ、首に縛り首のロープを巻き付け、裸足で町を歩かせたという。
もちろん、そんな軽い刑ばかりではなかっただろうが。
カール5世の像の、近くの別の広場にその銅像(Stroppendrager)があった。
僕はこれまで、何度もゲントを歩いているが、今回は今まで来た事のないエリアを歩いた事になる。
水門小屋、Rabot 別名は3つの塔(Drie Toorekens)
さてさて、お楽しみのカフェで休憩!
大肉市場の建物の一角にある「't Gouden Mandeke」
続いて、Tongerlo (生)
しかし 「フランドル伯の居城の内部を見てみたい」という人が何人もいて、またも別れる事になった(笑)
僕らは4人で歩く ・・・ ゲントのお菓子売り。
砂糖菓子なのでとても甘いCuberdons 、キュベルドンと言ってもインパクトはないが別名の Gentse neus 「ゲントの鼻」なら、誰でも覚えてくれるだろう(笑)・・・ 円錐形の形をしている。
ハスキー君、ここで何してるの?
僕らはこの後、何処へ行ったのだろう ・・・ あまりにも多くの場所を訪ねたので、撮ってきた写真を順序良く見ないと思い出せない(笑)
続きは次回に!
おもしろかったら ・・・ こちら→
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