沖縄・興南高校、見事に夏の甲子園優勝!
やはりこのチームは怪物に進化していた。
決勝戦でその全貌を現した。
沖縄野球の頂点に立った興南高校が全国に「沖縄強し!」を知らしめたのだ。
(海外でも僕のようにWEBの生中継を見ていた方もいるでしょう)
南国の、のどかな島沖縄に、大偉業を成し遂げる子供たちが生息していたのである。
歴史を語ればきりがない沖縄球史、アメリカ統治時代、パスポートを持って船で甲子園に乗り込んだ沖縄チームは弱小チームで、身長も160cmそこそこ、相手チームのキャッチャーが立ち上がると、バッターボックスの沖縄の選手が子供に見えた。
出ては初戦で敗退していく、あまりの万年弱小ぶりに「友情応援」なる他校からの応援参加も生まれ、沖縄独特の応援団が出来上がった。(それが今まで続いている)1968年の夏ベスト4入りを果たした興南高校が「興南旋風」を巻き起こした時、歴史のページが一枚めくられた。
「やればできるぞ!沖縄球児!」
甲子園での1勝も2勝も夢ではなくなった沖縄チーム。
名将、栽監督率いる豊見城高校、沖縄水産高校が「沖縄強し!」の基盤を作り、'90、'91夏の甲子園2年連続準優勝を達成、・・・が、優勝には届かない。
それでもまた、歴史のページは一枚めくられた。
'99春、選抜大会で沖縄尚学が初優勝を果たし、'08春に、もう一度沖縄尚学が優勝。
そして2010年、興南高校が春夏連覇!
南国沖縄のチームが、ついに夏の甲子園で優勝したのである。
決勝戦は興南の強さを見せつける試合だった。
島袋投手は1回の先頭打者にストレートを打たれ、山川捕手はすぐに変化球主体に切り替え、軟投派島袋に変身させた。
カーブ、フォーク、スライダー、チェンジアップと多彩な球種を操り、的を絞らせず、時折、自信を持ってストレートを投げ込む。四死球は2個のみ。ひょうひょうと、淡々と投げ続けるが、素晴らしいコントロール。
東海大相模のエース、一二三は好投手と言われているが3連投で、しかも初回から飛ばし過ぎた。変化球などで抜く球が少ない。
3回まで両チーム無得点で、両投手が好投しているため、投手戦の様相を呈していたが、直後の4回に、一二三がついに息切れした。
コントロールが狂いだした球では、鍛え抜かれた興南打線には通用しない。
集中力、爆発力のある興南打線の餌食となる。
あの時、何故タイムを取らなかったのだろう?東海大相模の監督、沖縄大応援団の歓声に呑み込まれ、我を忘れてしまったのだろうか・・・。
一挙7点は、あまりにも大きかった。
それでも一二三投手続投。
6回、不振の4番打者をカバーする活躍をしている3番我如古が、3ランホームランで決着を付けた。一二三撃沈・・・。淡々と投げる島袋投手は、三振を狙わず、打たせて取るピッチングに集中、それでも途中で春夏通算100個目の奪三振も記録して、歴代3位の数字だそうな、それもすごい!
島袋投手も、6試合をほぼ一人で投げ抜き、最後の最後まで集中力を切らさない見事なピッチング、素晴らしいスタミナ、最後の打者を渾身のストレートで三振に切って取るなど、最後まで彼らしさを見せてくれた。 さぞ、沖縄は盛り上がっている事でしょう。
何万人の人がカチャシーを踊ったでしょう、何十万人の人がオリオンビールで乾杯している事でしょう・・・・。
「ハイサイおじさん」の曲が、決勝戦で盛大に復活演奏されていましたね。
気になっていたんだけど、あんなコミカルソングに、「飲酒を促すような歌詞で教育上好ましくない」との苦情があったらしい。それで1回戦以降、自粛していたと・・・。
しかし、準決勝で5点先制され、苦境に立たされた沖縄チーム(興南)が5回に反撃を始めると、我慢できなくなり、堰を切ったように「ハイサイおじさん」が演奏され、興南高校の大逆転勝利につながったと・・・。
そう、「やっぱり甲子園では、あれがないといかんよなぁー」と誰もが思った事でしょう。
祝!興南高校、甲子園春夏連覇!
祝!沖縄県民!
遠ぉ~~い、ベルギーから応援していました。
2 件のコメント:
春夏連覇を現地甲子園で共感しました!!
センバツの時は具志堅用高もきていたよ。
そうですか~、揺れるような大歓声のアルプススタンドにいましたかぁ。
あのウェーブにも参加したのですよね?
やはり、現地でしか味わえない迫力、感動が最高だよね。
僕はWEB上の3インチ程度の極小画面で、一生懸命感動していました。
去年、フランスの全仏テニスで、ナダルやシャラポワの試合をローランギャロスのセンターコートで見た時は感動しました。その時のウェーブに参加しましたよ!
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