20.10.12

沖縄少年会館が消えた!

沖縄の友人から写真添付のメールが届いた。

以前このブログで「沖縄の歴史的建造物が壊される!」という記事を書いたが、県民有志の「保存・活用運動」も実らず、解体に反対する住民たちの声もほとんど無視され、解体は強行されたようだ。

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在りし日の沖縄少年会館

僕も少年の頃、田舎の村から学校の遠足でこの会館を訪れ、プラネタリウムなどを見て科学技術や宇宙の限りない広がりを肌で感じて、夢を見たような気がするのだ・・・

imageそれが、今、こうなってしまったと言う、「絶望」を感じさせる写真が送られてきたのである ・・・ そこにあったものが無くなった ・・・ ポッカリと空洞ができたように、そこにはもう何もない ・・・ あの少年会館で将来の夢を見て、頑張って、今、大人になっている人も多いだろう。

一抹の寂しさを感じる人もいるだろうし、親を亡くしたような思いに囚われる人もいるだろうに・・・

沖縄少年会館が解体されて無くなった ・・・

「古くなったものは危険だから取り壊してしまえ!」

「新築すれば国から補助金がごっそりもらえるぞ!」

公共工事というのはそういうものなのか?

それは悲しい ・・・ 悲しくないか?

 イーペル市庁舎(Stadhuis Ieper)

この写真はベルギーの町イーペル、町の中心には歴史を感じさせる古い建物がたくさん建ち並んでいる。

実はこの町、1914年から始まった第1次世界大戦時、ドイツ軍と連合国軍の間で2度にわたり戦場となり、町全体が完膚無きまでに叩き壊されたのである ・・・ 1917年までの間にイーペルとその近郊の戦場で50万人もの犠牲者が出たという ・・・ その悲惨さは、第2次大戦の沖縄と同じじゃないか!

戦後、沖縄は復興したが米軍基地を抱えるという、大きな重荷を背負わされた。

イーペルの復興の仕方はちょっと面白い ・・・

繊維会館と聖マルティヌス教会の塔(St-Martinuskerk)

 町の中心部の再建にあたって、戦前の町の建物を完全に復元するということをやったのである ・・・ 13世紀には毛織物産業で大いに栄え、当時はブリュッセル、ゲントについで、3番目の大都市となっていたようだ ・・・ その時に建設された巨大な繊維会館や、聖マールテン大聖堂(上の写真)など、往時の姿を再現したのだ!

いかに市民たちがこの町を愛し、誇りを持っていたかがわかる復興ではないか!

振り返って沖縄 ・・・ 大切なものがあるにもかかわらず、自ら壊してしまう ・・・ 激しい戦火を耐えて残っていた武徳殿という建物を一時は修復して使ったが、それも老朽化ということで、次には完全に取り壊して撤去してしまった ・・・ 首里城は戦後の40年経ってから復元されて、今や観光の目玉。

メーネン門(Menenpoort)戦争の悲惨さを後世に伝える記念碑も忘れてはならない ・・・ 白亜の門はメーンセ門(Menenpoort)といい、

メーネン門(Menenpoort)

その門の内壁、外壁には戦死者の名が刻まれている ・・・

沖縄にも似たようなものがあるね、戦後何十年も経ってから作られたけど。

イーペルの町を引き合いに出したけれど、ベルギー(に限らないと思うが)では、古いものを大切にする ・・・ 建物でも家具でも食器でも ・・・ 例を挙げればいくらでもあるが、ここでそれを紹介すると、めちゃくちゃ長くなるのでやめておくが、古い建物に住む人は、そこに住んでいるという誇りを持っているように感じるのである ・・・ 必死でその建物を長持ちさせようと努力しているのがよくわかる。

沖縄少年会館がなくなったことの意義はなんだろう?

沖縄在住の「遊悠人さんのブログ」も合わせて読んで欲しい。

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