アントワープの北部にあるブレヒト(Brecht)という小さな町へ行ってきた。
Katrienのご両親が5年間お世話になった老人ホームがある町だ ・・・
過去形になっているのは、今年9月の初めに義母がその老人ホームで亡くなり(義父は昨年他界)、もう、その老人ホームへ行くこともなくなり、ブレヒトの町にも行かないだろう・・・、と、思っていたが今日、老人ホームでは「この1年間に亡くなられた方の追悼のミサが行われる」と、いうことでKatrienの母(僕の義母)も含まれていることから、僕も参列することになった。
もちろん、Katrienの兄姉も参列。
Katrienは朝から別件で用事があって、車で出かけていたので、僕は午後からひとり、電車でブレヒトまで行くことになった。
アントワープ中央駅の、地下2階のホームは地下トンネルを通り抜けて、オランダ方面への電車が通るホームだ。(主に高速列車のタリスだが、普通電車もアントワープより北の方面行きが利用している)
僕が乗ったのは「Noorderkempen」行きだが、普段のベルギー国鉄ではあまり見かけない車両の電車だった。(ひょっとして、ベルギー国鉄の中では最新の車両かもしれない)
終点、Noorderkempenで下車、もう一度写真を撮る・・・驚くべきは、この車輌の低床設計だ・・・ホームと車両の床が全くのフラットで、すーっと降りられる ・・・ ベルギーの古い車両はホームから1m近くもある階段を上がらないといけないから、お年寄りや、ハンデのある人には大変な苦労である。
義母も「あの高い階段のある電車には絶対に乗りたくない!」 と、言っていたほどだ。
感動したのでもう一度写真を撮る ・・・ 駅もブレヒトの町規模の駅としては、とても立派であるが、それは近い将来に、オランダのブレダ方面へのタリス路線が開業される予定で、この駅も停車駅になるそうで、そのために着々と整備を進めているそうなのだ。
ミサの時間より1時間も早く着いたので、思い出のブレヒトの街を散策してみる。
ブレヒトの街の中心広場。
義理のご両親がこの町に移った時には、既に散歩を楽しむという状態ではなかったが、時々、街への用事の時に、義父を車に乗せて送迎したこともあった。
公園
1860年代の建築という町役場。
町役場の隣にある音楽アカデミー。
町には風車がひとつあったが、2年ほど前に火事で消失し、未だ復元されず、そのまま放置されている。
通い慣れた老人ホームに到着、Katrienと合流する。
追悼ミサは、去年も義父のために参列していた ・・・ ホームのカフェ(食堂)で行われた。
老人ホームの入居者も多数(全員)参列するので、教会の神父さんが出張してくるようなものだ ・・・ 昨年の11月から1年間で、24名の方がこのホームで最期を迎えたということだった ・・・ 約40分でミサが終了し、遺族の方や残っている入居者たちとの懇親のためにコーヒータイムがあった。
約1時間後、解散するときには、何か寂しさのようなものがこみ上げてきた・・・、4年間毎週1回は通っていたKatrienはもちろんだが、時々の僕でも、よく声をかけてくれたじいちゃん、ばあちゃんがいて、義理の両親と一緒に過ごしていた方々とも、もう二度と会うことはないだろうという、別れの寂しさだった。
残った皆さんも余生を静かに楽しく、この場所で過ごして欲しいと思う・・・
ベルギーの、この老人ホームを僕は結構気に入っていた ・・・ と、いうのも義父が元気な時は僕も毎週のように通って、一緒においしい食事をするのが楽しみだった ・・・ ビールやワインを飲みながら食事ができるんだよね、相席になる人たちともおしゃべりをしながら食事をし(毎回デザートまである)、食後はカードゲームをする人や、サイコロゲームをする人がいたり ・・・ みんなここでの生活を楽しんでいるように見えたから。
帰りの車の車窓から見える風景も、もうすでに「とても懐かしい風景」のように感じるのだった。
2 件のコメント:
義母さんのご冥福をお祈り致します。
最近亡くなられたのですね、奥様はお悲しみのことと存じます。
近所に老人ホームがあるのですが、みなさんお洒落してお出掛けしたり、庭でお茶飲んでらしたりしますね。またヨーロッパの方はかなりお年を召しても自活されてますね。年齢の割に頭と足腰がしっかりしてる方が多いように感じます。
お蝶婦人殿、ありがとうございます。
病院に行くこともなく息を引き取ったので、安らかであったと思われます。
こちらの方は最後まで人生を謳歌していますよね。
僕はテニスのダブルスのパートナーが80歳で、70歳ペアと練習をすることもあるくらいですから・・・
僕が若さを発揮しないと、笑われてしまいますよ。
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