用事でメッヘレンに行ってきた ・・・ いつもの裁判所(マルガレータの宮殿)への出入りだ。
ベルギーは1週間もすっきりしない天気が続いて、のんびり散歩もままならなかったが、昨日(金)は曇り空ながら雨が落ちるのは何とか持ちこたえていたので、メッヘレンの街を歩いてみることにした。
テーマは「ベートーヴェンのルーツを辿る」
ご存知のように、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンはドイツのボン生まれの大作曲家である。
あまり知られてないと思うが、ベートーヴェンの祖父の名はルードウェイク・ヴァン・ベートーヴェンで、フランダース人であり、ここメッヘレン(Mechelen)で生まれたのである。
祖父ルードウェイクはメッヘレンのこの教会、聖カテリーン教会(Sint-Katelijnekerk)で洗礼を受けている。
聖カテリーン教会内部。
メッヘレンで一番大きな教会、聖ロンバウツ大聖堂の後ろ側にある広場 Wollemarkt の一角に三角屋根の建物があり、その右側に入ると ・・・
壁にドアがある。
その壁に掲げられた案内板には「聖歌隊の家は15世紀に建てられたコーラスの学校である。ルードリッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの祖父はここで教育を受けた」とある。
祖父は1712年1月5日、メッヘレンに生まれ、6歳からここで聖ロンバウツ大聖堂の聖歌隊としての教育を受けた ・・・ 14歳から2年間は大聖堂でオルガニストとしての教育も受けた。
大聖堂裏の小道と聖歌隊の家
祖父が子供の頃活躍した聖ロンバウツ大聖堂。
今回は内部へ入らなかったが、過去記事あり!
19歳でルーヴェンの聖ペトロ教会の聖歌隊指揮者、1732年にはリエージュの聖ランバート大聖堂(現在は存在しない)の聖歌隊副長となり、ケルンの選帝侯から注目される。
その後、ボンに移住し、1733年、マリアと結婚する。
と、祖父ルードウェイクは音楽の才能で、トントン拍子に出世したようなのである ・・・ 1739年、ボンで生まれた息子ヨハン(作曲家ベートーヴェンの父)も宮廷音楽家になったが、あまり出来は良くなかったようだ。
しかし、ヨハンは、大作曲家ルードリッヒ・ヴァン・ベートーヴェンを作った!
大聖堂を後にして、ちょっとした広場になっている IJzerenleen 通りを歩く。
振り返ると13世紀の石造市庁舎が見える。
ダイル川を渡る橋に差し掛かると、左側には Lamot 醸造所(跡)があり、その建物を回り込むように歩くと、そこは ・・・
ヴァン・ベートーヴェン通り!
「作曲家ルードリッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの祖先はここに住んでいた」と、説明されている。
そして、広場には ・・・
ベートーヴェン少年が立っている!
祖父ルードウェイクからその才能を受け継ぐかのように ・・・
ベートーヴェン少年は、背中に回した手にバラの花を1輪隠し持っている。
作曲家ベートーヴェンが1770年12月17日、ボンに生まれ ・・・ 祖父は、1773年12月24日、ボンに死す。
3年間、同時期に生きていたことになる。
ベートーヴェンの祖父も、このダイル川の船の行き来を眺めながら、聖ロンバウツ大聖堂まで通っていたのだろうか?
今はその場所にモダンな橋が出来て、その名も「ヴァン・ベートーヴェン橋」(Van Beethovenbrug)となっている。
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